瑞祥の古葉取りが終了!これで今年の五葉松の古葉取りは無事(?)完了となりました。

 こんな感じとなりました。
瑞祥


 この瑞祥、7年前の京都大観展の売店で畑上げの状態で売られていたものです。以来、ヘタクソながら何とか年月を経て、少し見られるようになりました。

 この瑞祥、実は接ぎ木です。五葉松の台木に瑞祥を接いだもので太りは早いです。

 2~3年中には展示会に出そうかなと思っています。鉢は誠山の尚和泥です。少々きゅうくつかなと?


 さて、犬山城天守閣のご紹介は、今日で終了です。城下町の様子もおよそ紹介しつくした感じです。

 明日からは、盆栽と毎日の散歩で見つけた風景でも見てもらおうかな?


 さあ、犬山城の最終回は最上階の高欄から見た風景です。


木曽川を望む

3階、入母屋破風越しに見る木曽川と対岸の旧鵜沼宿辺りの風景です。


伊木山城跡を望む

 北西角から見た木曽川です。正面に見える山は地元で「夕暮れ富士」とも呼ばれる伊木山です。

 この山は岡山藩52万石の筆頭家老として代々、播磨三木城3万7千石を領した伊木忠次が築城した伊木山城跡です。

 信長が木下藤吉郎に命じて蜂須賀小六、前野将右衛門ら川並衆の協力を得て、伊木忠次を味方に付け、ここを拠点として美濃攻めを行ったと伝えられる城跡です。犬山城とは川をはさんで向かい合う状況です。

 それはそうと、手前に写っているのは農業用ダムで犬山頭首工と言い、農林省が昭和37年に造りました。これのせいで木曽の清流は消失し、池のようになってしまいました。今では冬になると多くの鴨が渡ってきます。水も淀んで昭和2年に日本八景に選ばれた名勝の面影はずいぶんと薄れてしまいました。

こんな名勝地にダムを造るお役所の無神経さと反対もせず許可した地元自治体にはあきれるばかりです。


岐阜城を望む
上の写真の右遠方を撮影した写真です。あいにくの天気ではっきり見えませんが、遠くに見える山並みの一番高い山が岐阜城です。天気が良ければ頂上の模擬天守も確認できます。


鵜沼城跡を望む
 橋が写っていますが、昔はここに鵜沼の渡しがあったところです。家康が中山道を付け替えるまでは、東山道で、現代に例えるなら、国道1号線と言ったところでしょうか。

橋のたもとに岩山が写っていますが、これが太閤記の舞台となった鵜沼城の跡です。

 この鵜沼城主であった大沢家は一時は10万石を超える領地を誇った強豪で、これを藤吉郎が説得し開城させたことが信長の美濃攻め成功の元となったと言われています。

 また、左奥に写っている山の右端頂上には、猿啄城がありました。

 このように犬山城の周りは城だらけでした。

 

 長々と犬山城をご紹介してまいりましたが、この辺で一区切りとさせてください。

 

ほな、また…。





瑞祥3日目古葉取り3日目
 ご覧のように下枝を残して大方、古葉がとれました。だけど、作業時間の経過とともに集中力がなくなり残すべき芽を葉と一緒に引き抜いちゃったのが20本くらいあったよ。芽数の多い瑞祥だから何とかなると思うけど、ダメだね。


さて、今日の犬山城は天守最上階から見た瓦の美を中心にご紹介します。


4階かたばみ紋瓦
 高欄東面から見た入母屋破風の棟瓦です。成瀬氏の家紋である「かたばみ紋」瓦が見られます。

 かたばみは、繁殖力が強いので、一門の隆盛を願って戦国武将は好んでこの「かたばみ紋」を用いたとか。


4階高欄東面より
高欄東南角よりの瓦です。出っ張っているのは、付櫓の屋根です。


4階高蘭西南角より
 高欄西南角より鋭く端正なデザインが美しい。


4階高蘭西北角より
 高欄西北角よりの風景です。眼下に見えるのは木曽川です。

 犬山城は背後を木曽川によって守られていることから「後ろ堅固の城」と言われているそうです。


ほな、また…。

 トシには勝てませんな。最近、老眼が進んで黒松や五葉松の古葉取りや葉透かしなど、細かい作業をやっていると疲れ目がひどく、2時間以上はできなくなりました。

 オイラは、老眼の上に近視で、おまけに乱視やから疲れ目には年季が入っとります。

 それでも盆栽は適期にちゃんとした手入れをやらないと、永年丹精込めた盆樹がだめになってしまうこともあります。

 以前は、手入れが楽しかったもんですが、近頃は苦痛に感じる時もあります。

まあ、愚痴を言っても始まらないので、ぼちぼち始めました。


瑞祥古葉取り05
 八房系は、芽数が多くて大変ですわ。まだ2~3日かかりそうです。


さて、犬山城は、とうとう最上階にきました。

回廊式天守でしか味わえない四方からの見晴しはさすがに素晴らしいものがあります。


国宝指定書

 階段を上がると、まず目に付くのが長押に掲げられた国宝指定書です。犬山城は昭和10年に国宝に指定されていますから、この指定書は、再指定された時の指定書のようです。


4階より3階へ下る階段
 なぜかこの階は緋毛氈が敷かれております。オイラの子供の頃から敷かれてあった記憶があります。

 解体修理の際の調査では、敷物が止められていた跡があったそうで、このような形式が踏襲されているようです。


4階より城下町を望む
 これは、城の正面にあたる南側回廊から、城下町を望む風景です。

 左上のマンション群の左(西)の細かい屋根瓦が密集した地帯が昔からある城下町です。

 小牧山城は、はっきりと見え、小牧長久手戦では秀吉がここから家康本陣を眺めたことでしょう。

 遥か彼方には名古屋駅前のビル群まで眺められます。
4階より鵜沼を望む
 望楼型天守独特の回廊です。これは東南角から鵜沼方面を望む景色です。

 この写真の奥に進めば右手に鵜沼城や猿啄城、左手には伊木山城、岐阜城まで遠望できます。

 この日は雲が多く、岐阜城までは確認できませんでしたが…。

 

ほな、また…。