完了!と言っても、まだ1鉢残ってるけどね。九重の作業が済んだってことで…。


九重古葉取り後
 こんな感じになりました。樹高76㎝、立ち上がり部の幹直径約15㎝です。子持ちの直幹です。

 九重は芽吹きが多く手間がかかりますが、間延びせず葉の緑も瑞祥よりも濃いように感じます。

 どちらかと言えば九重の方が好きかな?

 明日は施肥と殺虫の作業と言ってもオルトランを置くだけだけどね。それと最後に残ったもう一本の瑞祥の古葉取りも始めたいね。


 さて、犬山城は3階にやってきました。と言っても2階の屋根裏部屋だけどね。


\3階唐破風の間
「唐破風の間」なんぞと呼ばれておりますが、成瀬正成が元和6年、3階に唐破風を取り付け、最上階を回廊形式に変更したと伝えられております。

天井が低く、やはり2階の屋根裏を利用して3階としてあるようです。このことから犬山城は3層4階の城とされています。


3階南面唐破風の間内部
唐破風の間で休憩される方が多いです。これは正面南側に取り付けられた唐破風です。当時は唐破風が流行ったようですね。成瀬正成は唐破風やら回廊形式への改造の他、樅の丸下に掘りを造ったりもしました。前年の元和5年に1万石の加増を受けており、張り切っていたはず。頑張った気持ちもわかるような気がします。


3階北面入母屋破風内部
 3階東面の入母屋破風内部です。南北面に唐破風を取り付けたのと対比させるためか東西面には入母屋破風が取り付けてあります。


\3階より4階への階段
 4階への階段は西北の隅に造られています。天井が低いため短い階段で幅も狭いです。

 なぜか緋毛氈が敷かれています?

 天井の梁と階段の位置を比べると、天井の低さがよくわかります。


ほな、また…。


まあ、この写真をご覧ください。
悪の軍団


 真ん中にいる緑色の方と、右端にボケて写っております茶色の方、この二人は夫婦です。たぶん茶色が雌だろうと思っています。

 今年はなぜか、この手のミニバッタがうじゃうじゃわきまして、食うわ食うわで葉っぱがなくなる次第で往生しとります。

 写真は野ばらの盆栽を住処にして葉っぱの大半をを食い尽くして一服しているバッタです。

 このくらいの虫ですとマラソンやスミチオンでは効きません。遅ればせながらオルトラン粒剤でもやろうかと思っています。

 

 さて、犬山城は昨日に続いて2階武具の間のご紹介です。


2階武具の間
 部屋ではありますが、天井板もなく梁がむき出しです。もともと2階建ての金山城本丸の2階の大屋根天井裏が3階になっていると考えれば自然です。

 そもそも犬山城は2階天井の梁に望楼を乗っけた形になっています。写真は梁に乗せられた上部を支える柱です。


2階武具の間天井
武具の間の中央の天井です。梁の上に柱を乗せ、その上に3階の床を乗せています。

3階は「唐破風の間」と言われておりますが、いわば2階の屋根裏部屋です。

このため犬山城は外観は3階で内部4階と言われる所以です。


\2階武具の間より3階への階段
部屋の隅にむき出しに造られた階段です。移築した2階建てに後から増築したため、このような窮屈な設計になったのでしょう。


2階より3階への階段
 武具の間の入り口の東隅に廊下にはみ出して造られた階段です。途中で梁に頭をぶつけるほど、無理をして造ったことが歴然の恐ろしく急な階段です。

 こうしてみてくると、昭和の解体修理で釘跡や柱の符牒が1か所しかないことを理由に、金山からの移築説を否定したことは納得できません。

 多くの古文書に金山越えのことが書かれ、語り継がれてきている事実を重視すべきではないでしょうか。犬山には明治村があり多くの建物が移築されていますが、釘穴や符牒は前のものをそのまま使用し新たに穴をあけたり符牒を付け加えたりはしていないそうです。


ほな、また…。



 書棚でホコリをかぶっていた盆栽の写真集を見ていたら、なつかしい盆栽の写真を見つけた。

 昭和49年の第48回国風盆栽展の記念帳です。と言ってもオイラが出展していたわけじゃないし、見に行っていたわけでもない。

 当時は盆栽ブームで、国風展ともなると全国の書店に並んでいて誰でも買えたんです。

 値段を見てみると定価4500円と印刷されている。まだ20代の独身で 安月給だったオイラにして、よく買えたなという感じです。やはり盆栽が好きだったんだね!


国風展記念帳2
 当時の記念帳は、目次がイラストで書かれていて粋な感じでした。ちなみにこのページの左上の新海喜久氏は、美人盆栽士の森友美さんが現在修行中の喜洞園の初代で現親方の父君です。また、その右下には大樹園先代の鈴木俊則氏の名も見えます。左下に切れているところには鈴木佐市翁の名も。新海さんの楓は右ページの樹でしたが、銘風展でも展示され実物も見ていますが、根張りの迫力がものすごい樹で今も忘れることができません。

 それにしても当時の国風展は、プロの出展も認められていたわけで、それはそれで一流の盆栽作家の自信作が見られて楽しいものでした。鈴木佐市さんは瑞祥の祖木を息子さんの俊則さんは当時大人気だった三河黒松を出しておられました。


国風展2

 それにしても、この混雑ぶりはどうでしょう。当時の盆栽ブームがよくわかりますね。


 さて、犬山城は今日も武具の間です。

最初は武具の間入り口の前武者窓から見た本丸鉄門付近の風景です。


\2階南面武者窓より


武具の間 (2)
武具の間へ入るとすぐ左手に武具棚とともに全国の城の写真が飾られています。 


武具の間
武具棚です。


武具の間(3)

これは武者走りから見た武具棚です。黒光りした木目が美しいです。


今日は、この辺で。 ほな、また…。