キンズの花が咲いたけど、ほんのチラホラで、これでは鈴なりには程遠いことになりそう。
金豆開花
去年がナリ年だったので、今年はウラですが、それより、伸びを抑えるために小枝を切り詰めたことが原因のようです。しかし、これも盆栽の宿命ですなあ。毎年、いっぱいの実をつ付けさせていては盆栽は作れないわけで…。

まあ、ボチボチやろまいか?


 さて、犬山城本丸も「七曲り門」を残すのみとなり、あとは天守内部へと進むところまで来ました。

とりあえず今日は、残された「七曲り門」跡をご紹介します。


七曲門礎石
七曲り門は、天守に向かって右方にあり、上の写真を右から左へくぐり、曲がりくねった道を経て木曽川端に下りるための出口でした。


曲門跡02
この写真は、門をくぐり本丸を振り返った位置からの撮影です。


七曲門跡01
これもほとんど同じ角度からの写真ですが、門の全体像がよりわかりやすいかと思います。

「七曲り門」は「見晴門」と呼ばれたように、今は樹木に覆われよく見渡せませんが、成瀬正虎が築いたころは眺望が開け、十八灘と呼ばれた木曽川の急流を眼下に、左方を眺めれば名勝、赤岩の向こうに伊木山城、右に鵜沼城、左遠方には岐阜城まで見渡せたことでしょう。


曲道下り口の様子
道なのかどうかさえ、よくわかりませんが、枯葉の積もったところが道です。下りきったところから樹木をかき分けてすこしばかり登れば、石垣で補強された九十九折の道が見られます。

往時は、馬で往来できたそうです。なんとか再整備し直してほしいものです。


ほな、また…。

 杜松の新芽切りをして2か月近くになり、また、かなり伸びてきました。もっと、早く切り込むべきでしたが、怠けているうちにこんなになりました。


杜松02

今、切ると冬越しまでに中途半端になりそうで、いっそのこと、もう少し待って切ろうかな?なんて作業の先延ばしを画策しております。いずれにしろ、切った後、一芽吹かして冬越しに持っていきたいので…。


さて、犬山城は、本丸鉄門を入り右手に「大砲櫓」があります。といっても今見られるのは石垣だけだけどね。


大砲櫓石垣2
 「大砲櫓」の石垣です。何か無粋なパイプが乗っかっています。


砲櫓跡
櫓台跡です。礎石がいくつか残っています。

2層2階で12m×8mくらいの規模だったようです。大砲櫓、小銃櫓、弓矢櫓などの名称は、そのような武器が収納されていたのか、他の城ではあまり聞かない名称だよね。


七曲門より大砲櫓に続く多聞3

七曲門より大砲櫓に続く多聞1

 上の2枚は、七曲り道(天守から直接、木曽川へ下りる道)へ出るところにあった見晴し門(櫓門・手前)から大砲櫓(奥)に続く多門櫓の石垣です。

 多門櫓は、明治13年に85円70銭で民間に売却されたそうです。


ほな、また…。



台風もそれて、我が家の損害は老爺柿の実3個落果にて一件落着となりました。

それから、熊柳の地味な花が咲きました。
熊柳
 白くて小さいのが今年の花で、右下に見える房のような花は、昨年の花で、結実していれば赤くてもう少し大きくなるはずなんですが…。どうやら、うまくいかなかったようですわ。

 細幹ながらも、木肌に古さが出てきて、渋く感じがいい樹なんですがね。ツル性だけに間延びして、小品盆栽にはちょっと難しそう。


 さて、犬山城ですが、前回は本丸入口の鉄門の手前から見た「小銃櫓」をご紹介しましたが、今日は鉄門をくぐり、いよいよ本丸内に入ります。

 鉄門を入ると左手に「小銃櫓」の石垣と模擬櫓が見えます。


小銃櫓跡001
 この「小銃櫓」の前を西へ進み、突き当りの土塀を少し右に曲がったところに「弓矢櫓」があります。


弓矢櫓への上り口
 石垣を積み、高くした上に土塀をめぐらし防御していました。階段は「弓矢櫓」への入り口です。


弓矢櫓石垣1
 「弓矢櫓」の石垣です。

 ここから土塀に沿って天守の方に進み、天守西門(門跡なし)を経て天守の北西角に「千貫櫓」がありました。
千貫櫓址01
 千貫櫓跡です。犬山城の櫓では最も新しく成瀬氏2代目城主、成瀬正虎が築いたと伝えられています。

なお、現在、落下事故防止のため、立ち入り禁止になっており、ここへは行けません。ちなみに、当ブログでは、自分で撮影した写真を使用していますが、この写真は撮影不可のため、ヒロイです。


ほな、また…。