杜松の新芽切りを始めました。オイラんちには大小7鉢の杜松盆栽があります。

上は国風盆栽展経歴のある大物杜松から下は、山採りで何ともこれはという手合いまで、まさに玉石混合です。

 今日、手入れしたのはうちでは第3位の杜松でこの先、うまくできれば2位まで上がる可能性がある有望株です。


杜松 - 1
2009年1月      2014年8月

うまく作れば、仕上がりが早いと言われる杜松ですが、5年余の歳月は、素人にとって水遣りや植替えなどのちょっとした失敗はつきものでして、そう簡単にはいきません。

 今年も中間の枝を枯らしてしまいましたし、裏枝で枯れかかっている部分もあります。

 今春、植替えた時、時期がやや早かったのと、いささか根を深切りしすぎたのが原因だと思っています。杜松は根と枝がつながっていて太根を切ると、その根から水を貰っている枝が枯れたりするような気がします(ホンマかいな?)

 でも、いい勉強になったのも確かです。あと、2~3年で銘風展にとの思惑で頑張ります。


さて、犬山城天守内部の撮影は、来週に延ばしましたので、今日も手持ちの画像からのご紹介です。

明治初年の犬山城を見てください。


明治初年 - 1
濃尾地震で半壊する前の天守です。昭和の大修理を経て、創建当時に戻した今と違い白壁が多いです。

この方が白帝城の別名に沿うかも?


明治初年-3
不鮮明ですが、三の丸から天守に向けた撮影です。今は亡き櫓が写っている貴重なもの。


川端丑寅櫓と水の手櫓
現在の名鉄犬山ホテル前あたりから天守を撮影したもので、手前に「川端丑寅櫓」、右端に「井戸櫓」と「水の手門」が写っています。


天守と西谷土塀
鵜沼川から木曽川越しに白い西谷土塀が写っています。小牧長久手戦の前哨戦として名高い犬山城攻防戦の際、池田恒興が夜陰に乗じ西谷から攻めたと伝えられており、ちょうどこの目線で木曽川を渡ったと思われます。


ほな、また…。




 昨日、手を付けた五葉松の古葉取りをやりました。


五葉松の成長
2009年10月       2014年8月

 右は本日、古葉取りをした後の写真です。約5年前の写真と比べて、成長の跡がうかがえると思うのですが…。

 しかし、展示会に出展するには、あと5年くらいはかかりそう。五葉松の成長はゆっくりですから…。

 永生きしないといけません!


 さて、犬山城は、昨日の続きです。

 
松の丸門
松の丸門です。一宮市の淨連寺に移築され現存しています。松の丸跡に残る礎石の大きさから、もっと小さなくぐり戸を想定していましたが実際は、かなり立派な高麗門でした。


内田門
 以前、散歩道の記事で紹介済みですが、臨済宗妙心寺派の古刹、瑞泉寺の山門として残る内田御門です。

 この門は大手門に対する搦め手門で、金山城の大手門を移築したものと伝わっています。

 城内東谷から搦め手の枡形に配され、内田村方面への出入り口でした。槍鉋の削り跡が残る古いものです。


金山城移築門1 金山城移築門2
上は外から見た旧金山城本丸門、下は内側から見た旧金山城本丸門です。

この門も瑞泉寺内に現存する門で、犬山城とは直接関係ありませんが、金山城本丸から直接、移築されたと伝えられているものです。

二の門

 これは犬山今井地区で代々庄屋を務めた長瀬家に売却されたと伝わる大手枡形の二の門で、犬山城では一番立派な櫓門のはずですが、長屋門に改築されたそうです。

 以前は、この門をくぐる者は被り物をとって一礼し通行したとも伝えられているそうです。


ほな、また…。





 どうやら、腹中の石は体から出たようで今日は一日中、腹痛はありませんでした。

 とはいうものの、いきなり絶好調とも言えず、しばらくは慣らし運転と言ったところです。

 そこで、この五葉松の古葉取りを始めました。1/3程度しかできませんでした。


葉松古葉取り前02

 これは四国系と思われる五葉松の古木です。双幹ですが親子幹よりは夫婦幹にでも見立てましょうか。

 もう少し、右へ傾けたほうがいいかな?なんて思いました。

 何とか明日中には済ませたいです。


 こんな具合で、犬山城天守閣内部の撮影は、もう少し待っていただくことになりそうです。

 そこで、今日は明治の初めに売却され移築現存する城門をご紹介します。


松の丸裏門(常満寺移築)
 松の丸裏門です。松の丸の東隅より内田門の方に下りる位置にありました。

 犬山の常満寺山門として現存しています。明治7年、70円で売却されました。薬医門と言うそうです。


黒門(徳林寺移築)
黒門です。本丸への上り口で岩坂に差し掛かる位置にありました。

明治9年23円にて売却され大口町の徳林寺山門として現存しています。これも薬医門です。


矢来門(専修院移築)
矢来門です。三の丸より本丸へ進む際、2つ目の門になります。高麗門と言うそうです。格子戸がはめられている珍しい門で古いものだと思われます。明治7年に20円にて扶桑町の専修院に売却され明治9年に移築され現存しています。


高麗門(運善寺移築)

この門は、一宮市の運善寺に移築現存する高麗門ですが、犬山城のどの門であったかがはっきりしておりません、三の丸東隅から松の丸へ上がる清水門か東谷から桐の丸へ上がる榊門のいずれかと言われております。売却額は23円だったそうです。


 このように見てきますと門の相場は20円程度だったようですが、明治初期の1円は2万円程度と言われていますから、今のお金で約40万円となり、ちょっと安いなあと言う感じ。当時、城の破却は全国で多く行われており、たたき売り状態だったのかも。

 松の丸裏門だけが70円と突出しており、なぜだろうかと思いますが、売却先の常満寺は、犬山でも古い寺で、最も経済力のあった神戸氏が檀家であったことなどが関係しているかもしれません。


一部山門の写真は、netでのヒロイです。すみません。

ほな、また…。