杜松新芽切り004

 今日は杜松盆栽の新芽切りを2鉢やりました。そのうちの1鉢が写真の杜松。稲沢の親方から「練習用に持っていきゃあ」と無償でいただいたもの。下半分は天然の舎利幹で上半分はオイラが創った舎利です。ちょっと見られるようになってきました。文人木です。

 それにしても小さな木なのに沢山切ッたものです。


 さて、いよいよ犬山城の写真もネタ切れになってきました。明日くらいに天守内部の写真を撮ってこなきゃあ…。

 そんなわけで今日もまた、少々古い犬山城を見てください。


明治38年頃
 明治38年の犬山城です。対岸からの撮影です。信長の美濃攻めの折、藤吉郎が蜂須賀小六ら川並衆の力を借りて調略に成功した鵜沼城から眺めた犬山城は丁度、こんな風景だったはず。

 今は桜並木ですが当時は松並木だったことがわかります。
大正14年以降
大正14年に竣工した犬山橋が写っているので、それ以降に違いないのですが、昭和37年にできた犬山頭首工のダムがなく、帆掛け舟が浮いているので昭和初期かな?


昭和2年
昭和2年の写真で、国指定史跡・東の宮古墳あたりからの撮影と推察されます。城山手前の平地は戦国の昔は湿地帯で犬山城の東の守りでした。


S27年犬山城西谷
これは、時代が下がって昭和27年の写真です。旅館が写っていますが、その辺りは白い土塀がめぐらされ西谷と呼ばれた郭でした。小牧長久手戦の初戦で、池田恒興が夜陰に乗じて川を渡り犬山城を攻略した時の上陸地点です。

本日は、この辺で…。

ほな、また…。

 一人では持ち運び不能の大物杜松の手入れは、棚場での作業になります。

 鋏とピンセット、それから切り取った新芽を入れるダンボールを持って棚場に出張です。

 おっと、この時期、もう一つ必需品が、蚊取り線香の渦巻を忘れちゃ5分と仕事ができません。

 小雨決行で何とかやりました。


杜松新芽切り003
芽切途中        芽切完了

 少し、横に広げすぎかな?そろそろ締め直しの時期かも。そうなると、ちょっとオイラの手に負えるかな?こうして写真にとると、枝棚の乱れなどもよくわかるね。それにしてもジンと舎利幹は見事でしょ?

 なにしろウチの「タナガシラ」ですから…。


さて、今日も犬山城の古い写真を少々。


大手門 明治初年
 これは、明治初年の写真と言われているもので、大手枡形の「一の門」です。左上に塀の上で少し見えているのが「二の門」でこれが犬山城では最も大きく立派な櫓門でした。

 それにしても写っている面々の凄いこと。こんな凄いキャラ見たことない!


犬山城 (3)
 これは、濃尾地震の修理を済ませた後の写真ですね。資金不足で復元できなかった付櫓がなく、切妻破風が屋根の上に乗っけてあるのが見えています。

 昭和の大修理で復元されるまで、この姿です。



昭和10年頃
これは、上の写真より時代が下がって昭和10年頃の写真だそうです。


S36年素屋根
S36年、解体修理のため素屋根で覆われた犬山城です。

s40年に完成し、現在の姿になりました。

なお、解体修理予算は6500万円だったそうです。


ほな、また…。



九重五葉松の育成結果です。
九重の成長
2008年3月 入手時  現在

6年余の成果ですが、さすが九重、小枝の出来は早いです。

ちょっと変わった双幹です。高木の風情が感じられ好きな樹です。


さて、犬山城は今日も古い写真を見ていただきます。


大手門付近の高所からの撮影
明治初年の写真でしょうか。大手門(現在、犬山市福祉会館の位置)付近の高所からの撮影。左から坤櫓、道具櫓、右端が巽櫓

かと。


左より松の丸坤櫓

これも上と同時期の写真です。左に坤櫓(現三光寺稲荷の処)、天守の下に道具櫓(現針綱神社社務所の処)、天守の右が杉の丸器械櫓です。


天守と水の手櫓
対岸からの写真です。天守の左下に井戸櫓が見えます。


明治24年濃尾大地震
 これは写真ではなくスケッチです。天守西の武者走りが壊滅した状況がわかります。

 明治24年に発生した濃尾大地震は、犬山にも大きな被害をもたらしました。死者29人、建物の倒壊、半倒壊が約1500戸という記録があります。

 犬山城では天守が半壊、付櫓や城門が倒壊しました。旧家臣団が結束し、寄付を募って復旧させたそうです。


ほな、また…。