本日で完了させる予定の瑞祥の古葉取り。やっぱりあきませんでした。

 2時間ちょっとの作業でしたが、1/3ほど残ってしまいました。

 まだ、他に瑞祥が1本と九重が1本残ってるんだけど…。

 こんな感じです。


瑞祥古葉取り003

 済んだ部分とこれからの部分もイマイチよくわからんね!

 枝先の乱れが許容範囲を超えたようで、針金かけないかんね。


 さて、犬山城は地下1階へと進みます。


地下2階への下り口
天守入り口から階段を上がったところです。左の階段は1階への階段です。

この階は、踊り場の役目を果たすと同時に、このスペースで待ち伏せされたら絶対にこの先に進めないと思います。


地下1階5
この階の床スペースは、これだけです。上がってくる敵を防ぐ武者が待ち構えるスペースと考えれば納得!


地下1階2
上の写真にも写っていますが、石垣の間を貫通する犬山城で最も太く頑丈で立派な梁です。

槍鉋の削り跡がむき出しの石垣とともに古さを示しています。


地下1階4

1階への階段です。段が高いので、子供は這いつくばって昇っておりました。大人でも手すりにつかまらずに上がる人はおりません。

石垣の高さは5mと言われておりますが、最上部が階段の途中に見えています。


ほな、また…。

 昨日、延期した瑞祥の古葉取りを始めたよ。

 まだ、1/3くらいだけどね。午前中に始めたんだけど、ひるごはん食べたら眠くなっちゃって…。

 起きたら4時やった。で、作業はいつも通り遅れ気味です。


瑞祥の古葉取り
古葉取りを済ませた頂部付近の様子。かなり腕伸びした新梢が見られます。

もっと、ミドリ摘みをまじめにやらないといけませんな。

瑞祥は九重に比べて、伸びや太りが早く、盆栽としての仕上がりは早いと思います。

反面、腕伸びしやすいようで、八ツ房性特有の矮小性はないようです。手入れ時に調整が必要かも。

何とか、明日中には終わらせたいと思っています。(希望的観測?)


さて、犬山城は、天守内部に入ります。

今日は、地下2階部分です。


天守入口2
入り口です。なぜか緋毛氈が敷いてあります。むき出しの石垣と急な階段が出迎えてくれます。

住まいで言えば玄関ホールにあたる場所ですが、さすが戦国の城、一切の装飾を省き、段の高い急な階段で攻め上がる敵を防ぐ工夫がされています。こんなに急階段では上から槍で突かれたら上がれないよね。


地下2階

上の写真の左手の部分です。頑丈な扉と建築時期の古さを表す野面積みの石垣が間近に見られます。


地下2階2
上部階の床を支える頑丈な格子状の組み柱は犬山城独特のものがあります。


地下2階より地下1階への階段
手すりを頼りに上らないと落っこちるほどの急な階段。階段と言うより梯子のような感じ。最上階まですべての階段がこの調子なんで、お年寄りや女性は、苦労してみえました。

昔の人は現代人より背が低かったと思うのですが、わざわざ上りにくいように造っているのは明白ですな。

明日は、上の階へご案内します。


ほな、また…。



瑞祥古葉取り前
 この五葉松は挿し木仕立ての瑞祥で、うちに来て5年になります。樹高の割に幹の太さが足りないので、枝葉を切り透かすのを控え、太らせることを優先し管理しています。ここまでくれば、小枝がよくできる瑞祥のことですから仕上がりは早いと思うのですが、まだ5年くらいは幹作りに励むつもりです。

 ところで、本日はこの瑞祥の古葉取りを行うつもりで回転台に乗せたのですが、急な雨降りと雨漏りで明日に延ばすことにしました。

 作業場がテラスの下なんですが、いつの間にか雨漏りするようになってしまい、修理が間に合っていないのです。


さて、犬山城ですが、やっと本日、天守閣へ登閣してきました。

これから順を追って天守内部をご紹介します。

と申しましても、モノには順序がありまして、まずは天守の前に立ち、あらためて外観を眺めるところから始めます。


天守外観
天守を仰ぎ見るアングルです。唐破風が見えていますが、これの下の1~2階が金山城の天守を木曽川に流して犬山に移築したものと思います。(異説あり)金山城は天保6年(1537)、に斉藤大納言正義により築城されており、これを移したとしても我が国最古の天守に変わりはありません。

金山城を解体し木曽川に流したのは石川光吉で、その資材を利用して再建したのは小笠原吉次です。


天守外観3~4階
 犬山城は2階の切妻の屋根裏に3~4階を乗せた構造で、オイラは小笠原吉次が移築再建時に増築したのではないかと思っています。

 そして唐破風は元和6年、成瀬正成が犬山城3階に唐破風を取り付け、最上階を回廊形式に変更、また、樅の丸から本丸の西方中腹に水堀を設け防備の強化を図ったと言われています。


天守外観3
こうして見上げると、この城、なかなか立派じゃないですか。

付櫓は、濃尾地震で倒壊したものを昭和36年から40年にかけて行われた解体修理に合わせて再建されたものです。


天守外観2
入り口から上を見上げたアングルです。

明日は、中に入ります。


ほな、また…。