こんにちは! こうの史代です。
昨日の記事を書いた後で気づいたんですが…。
そうでした。
フランダースの犬は昔から好きじゃないんでした。
あれは「お涙頂戴」だと思っているのでした。
で。
そう考えると「ワンサくん」の終わり方は、メロドラマではあったけど、お涙頂戴ではなかったかもしれないな。
わたしが毎度めそめそ泣いていたのは、悲しいからではなくて、
普段元気なワンサくんだけど、実はお母さんを恋しがっていたことや、
お母さんがワンサくんを愛していることや、
お母さんは病気でも強く生き抜いたことに、
感動していたんだと、今になって気づきました。
まあ、「類型的な感動」であることに変わりはないんですけどね。
まあ、わたしこそ戦争もの以来お涙頂戴作家と思われている時があって、楽しいものを描くと「あなたらしくない」と全否定されることも未だにないでもないんですけどね。
漫画を描こうとする時、感動には、「喜」「怒」「哀」「楽」の4種類があることをいつも意識します。
そして、人は感動したいという欲求をずっと持っているんだと思います。
「哀」はわかりやすくて人気があるし、
「怒」もそれと気づかれにくいけど人気があるし、
「喜」がそれらとセットで対比的に描かれて、物語としての体裁が整うのだ。
では、わたしは「楽」を描いてゆこう。
「楽」が感動のひとつなのだと、みんなが気づいてくれるようなものが描ければいいなあ、と、それこそ漫画家を志す前から、ずっと思ってきたのでした。
夕暮れの空に三日月を見たり、桜の花びら混じりの風に吹かれたり、朝セミの声で目を覚ましたり、金木犀の香りに包まれたりする時、わたしはこのために生きてきたんだな、とふと思うことがあります。
「楽」の感動はこういうことかなあ?
これからもずっと考え続けてゆくのでしょうね。
ではまたね!