高校に入学してから、親への反発心が強くなったなぁ。
今思い返すと、恥ずかしい事もあるんだけど、
自分なりにバランスとってたんだなぁと思う。
なんと言っても、中学とは違う地域に通うってだけで、私にはドキドキだったし、凄く怖かった。
一人行動ができない、不安で怖くて無理、だったから余計にきつかった。
それも、いざ高校に通ってみてから気付いた。
一人で電車に乗るとか、まず、あの人がうじゃうじゃいる駅に朝向かうのもまぢでしんどかった。
一人で朝電車に乗るとか、なんかカッコいいし憧れたけど、とにかく怖くて無理だった。
何が怖いの?先輩?誰かに何かされたの?言われたの?
ううん。分からないけど、とにかく人が多いのが無理、一人が無理だった。
だから、好きでもない中学の同級生の輪に混ざり、あなた達に興味あります〜友達だよね〜の雰囲気をつくり、絶対に一人で駅にいたくない、駅から高校へも絶対に一人で行きたくなくて。
どうにか、どんな時にも一人にならないように、目星つけてコミニュケーションとってた😂
だから?すげー気を使って疲れてたなって、思い返すとよくやってたなって思う。
話を合わせて、笑ってみたり、あいづちしたり、合わせて遊んでみたり。
それ、見抜かれて、
話ちゃんときいてんの?とか、興味ねぇだろ、とか言われる事もあったな〜あいつ、するどかったな😂
よくやってたと思う。どんだけ一人でいるの嫌だったのか。それは、高校卒業してからも続いた。
一人で服も買いに行けないから、私が車出すから買い物一緒に行こうって、生活リズム同じの子がいたから、いつもその子を誘ってたな。
嫌な事言われても全然我慢できたし。一緒に行動してくれて都合いいから、我慢出来たのかな〜
他にも、とにかく、行動全部だったかも。
電車もだし、外食とかも、とにかくいっぱい😂
それを思い出すと、今の自分が本当に凄いと思えるわ😂一般的にいう普通すぎる事なのに。
で、そんなだから?高校3年間、孤独感が半端なくて、いつも誰かを探してた。一人で行動できないってのもあったけど、信頼しあえる人が欲しかったのかなぁ。
親との関係がもっと信頼できるものだったら違ったのか?今となっては、それも経験で、今の私がいるから、今は恨んだりしてない。当時は恨んでたけど😂
今は、ただただ、両親や家族に感謝しかない。今私が存在できてる事が全てだから、どんな経験も必要だったんだという事が腑に落ちまくってる♡
あの宗教のゴタゴタがなければ、普通の家庭だったわけだし。何もなければ、両親は普通に仲良かったし、両親の愛情はちゃんと感じてたし。
で、父の事大好きだったけど、少し反発した時期があったんだけど。それは、もう少し母に寄り添ってほしいという気持ちもあったから。同じ女性として、母の苦しみにも寄り添ってほしかった。
それでも嫌いにはならなくて、結局父には色々話せたし、謎の信頼感がお互いあった事は、父の愛情の深さのおかげだったなって感謝してる。どんなに怪しい言い訳をしても、父はいつも笑ったりして、バレバレなんだよ、と言いたげなんだけど、怒りはしないでいてくれて。
それが、あの時期の私には凄く有難かったんだよな〜。
で、きっと母と私が二人の間でもっと信頼関係を築けたら、孤独感はそこまで感じなかったのかもな〜って、自分も母親になってから気付いた。
どこかのグループに属するのはめんどくさくて。
ヤンキーっぽい子か、おとなしい子、っていう結構極端な学校だったような気がするんだけど
私はどっちにも当てはまらないし、属するのも好きじゃなくて。
属してもいいんだけど、なんかやたらとルール?みたいなのがあるのが嫌で。
女子特有の感じ。
あっちのグループには行くなとか、集まりには参加しろとか、お泊まり会にも参加しろとか。
そういうのに属したくなかった。
上っ面でやってるフリして付き合う時もあったけど、それが楽な時もあって。
でも、本当はさみしかったし、つまらなかった。
でも、幸い、高一の時に素敵な出会いがあって共通の趣味をもった仲間に出会えたのが、本当に救いで、クラスは2年からかわっちゃったんだけど、それでも支えだったし、その子たちのお陰もあって高校卒業できたと思ってる。みんな、遅刻や単位ギリギリ、本当にギリギリだったのによくやったよね。今でも親友だなんて、凄い運命だと思ってる。
私の辛かった気持ちを聞いてくれ、な内容になってて申し訳ないんだけど、とりあえず高校の時の事を思い出したままに書いてみた。
同じように親が宗教してて辛かった人、色々経験した事、感じた事を共有して、それが癒しになったらと思います。
私も自分の記憶をほじくって書いてみるのは結構癒されるもんで。
あー、もうあの時の感覚、癒えてるわぁ〜とか気付いたり。
同じような境遇の人がみてくれてたとしたら、なにか共有できたらいいなぁって思う。
で、高校の時の母は相変わらずでした。
高校の時で、母が入信してからもう10年以上経っていたので、色々と慣れていた。
私自身が、辛いという気持ちを
誤魔化す事、隠す事、家族みんながそれぞれに。
それがとにかく楽だったから。
波風をたてない。
ひっそりと、宗教には触れないように。
特に私は凄く、そこに注力してた。
父との会話では特に。宗教の話にならないように、向かないように。
それは、父にも忘れて楽になって欲しかった。もう、忘れてしまおうよ、それが楽だよ、って思ったりしてた。
兄や弟はどうだったのかは、憶測でしかないんだけど。
男の子には男の子なりに、母に思うことはかなりあったとは思う。
不器用で言葉にできないけど、心がしんどいのは感じてたし。
家族みんなそれぞれが、それぞれに沈黙しつつ、霧が晴れなくてすっきりしなくて、視界が悪い感じだったと思う。
高校3年間の間には宗教の事での大きな事は起きなかったと思う、確か。
父もかなり諦めモードって感じだったし、本当にもううんざりで、宗教に対してとにかく疲れてたと思うから、10年もすったもんだしてたら、疲れるもんね。
考えたくもなかったと思う。
で、私は母に結構反発してたな〜クソババア!とか言ってたし。
迎えに遅れた時も、宗教に行ってて遅く来た事があって、それが非常に許せなかったんだよね。怒りと悲しみで、地面を蹴飛ばして、地球にヒビ入れてやろうと思ったり😂
地球爆発してくれよ、と思ったり😂
もう全て一気に終わらせてくれって。
自分が自殺するのは、怖いからムリだし、家族が悲しむのも嫌だから、なら、地球が爆発すれば、みんな一緒だからいいじゃん、とか。
いい加減にしてくれよっていう気持ちは伝わらないし、話にならないしで、どうにもこうにもならなくてむしゃくしゃするし、親子なのに、なんで分かんないの!!ってとにかく、悔しさとか悲しさとか憤りで爆発しそうだった。
それでも、波があったし、なるべく穏やかでいたかった。
気持ちの置き所が忙しかった。
それで、あるあるだと思うんだけど、憂さ晴らしでピアスをあけるようになった。
思春期あるあるかなと。
ピアッサーの方が怖いから、安全ピンでやってた。
痛いのが苦手だから、リスカとかはできないへたれであった。
何度もやろうとしたけど、無理。うん、私には無理だ。と😂
タトゥーもなんどもやりたくてめちゃめちゃ調べたけど、ヘタレでびびって無理でした。
その後、20歳ちょい前から4年くらい付き合った人が入れてたから、オソロで白いタトゥー入れたかったからまた再熱したんだけど、白ならパッと見、全然分からないからって事だったんだけど、やらなかった。
結局痛いよなってのと、親がかなしむのが浮かんだため。
髪の毛の色もそんな感じで。
ピアスと髪の毛の色で、憂さ晴らし😂
でも、高校があほみたいに厳しかったので、顔にしたピアスは透明のピアスで隠して、耳も、検査が頻繁にあって厳しかったから透明のピアスして。
髪の毛ももちろん厳しかったので、夏休み春休み限定で。
今思うと、私なりにバランスとってたんだなって思う。
ぶつけようの無いフラストレーションを、そういう事に向けるしかなかった。他になかったから気軽だったんだと思う。
それでも、ピアスはもっと開けたいと思って、とにかく調べまくってたり。
やる事なかったんだろうね〜そういう、どうでもいい事に集中できてたのは、良かったのかもしれない。
犯罪とか、他人を傷つる方向に行かなくてよかった。
あとは、高一からハマったバンドのライブで発散出来てたのも大きかったな。
かなりハマっておっかけだったし、そういう夢中になれる事があってよかったなって思う。
家族に意識を向けなくて済んでたのは、救いだった。
逃げてただけなんだけど、そういう時間が必要だったと思うし。
当時は母のせいで苦しくて辛くて、普通の家族だったらって何度も思ってたんだけど。
今では、本当に思わないの。
綺麗事とかじゃなくて。
親の影響で、障害のあるような性格になったのかもしれないし、
一人で行動できないっていう事に関しても、親と、あとは特に一緒に住んでたじいちゃんのトラウマとかが重なって、ちょっと異常だったっていうか
そこまで???っていうか、ギャグみたいな感じだったんだけど、
それも当時は嫌だったんだけど、
そんな自分だったから、経験してこれた出来事全てに感謝しかないんだよね。
で、そんな母が親だったから、
普通の家族では経験する事がなかったような事を沢山経験して、不思議な絆ができたり、色んな事を共有して、各々、凄く成長したと思う。
考えたり、感じたりしなきゃいけないことが多すぎて。
母に対してだけじゃなくて、母を囲む家族それぞれの在り方とか、もう色々な事が絶妙なバランスで。
母の宗教の事も、私自身の事も、高校の時の事なんて、その後の私の人生の中で、へのかっぱで。
自分を知る為の貴重な3年間となったわけでした〜
