銀納義民-2
歴史
イベントの横睨み写真
(税制改革の足音は石鎚山寒村から)
全国各県の江戸時代に「義民」と云う伝説は、五万とある。
西条のそれは、藩政時代の1664年11月に発生した事件である。
哲学的な学問ではないが、その行動力に於いて、
「非暴力」に徹したマハトマ・ガンジー(1869~1948)を300年も
遡るところに「銀納義民」の崇高な値打ちがあると思う。
11月16日(日曜日)現地の広場に1,000名に及ぶ人が集まり、
イベントが行われた。横睨みのスナップ写真で失礼する。
図06.入り口の立て看板
後ろに加茂川の一部が見える。
図07.参加者一部と和尚さん(2枚)
図08.神主と女神達(2枚)
神主は右方、法螺貝奏者が写っている。
図09.吟詠
女神達が「嗚呼、銀納義民」を吟詠する。
図10.和楽部隊
図11.参加者一部と洋楽部隊(2枚)
図12.追悼碑と慰霊塔(2枚)
図13.ギターで鎮魂
図14.餅まきと元気な婆ちゃん(2枚)
アッと云う間に終った。カメラでは餅は拾えない(爆笑)。
快晴に恵まれ、350年前の銀納義民の霊を慰めることが出来た。
しかし、銀納と云う貨幣経済が登場して、商人の力が増し、
武士の力が相対的に弱まるという歴史の皮肉も発生するのだ。
税制改革の源が石鎚山の山奥の部落から発生した。
(続く)