平安時代の乱世-1
先祖
十亀氏系図の謎2
先日(2月10日)の続きです。
「藤原兼家」と息子「道兼」は花山帝を騙して出家させたので、
十亀氏系図の制作者は、極悪非道な人物とみなしたか、
この前後の数十人を全て抹消しています。
図12.兼家亭
平安とは真っ赤な嘘で、935年常陸国での平将門の乱に始まり、
939年瀬戸内海での藤原純友の乱、花山帝の御乱交、993年に、
太政大臣を追贈された菅原道真公事件、九州方面から流れ込む天然痘の流行、
安倍晴明に代表される陰陽師等の、闇の世界が暗躍する混乱と暗黒の時代でした。
十亀氏系図は割愛が多いと悩みましたが、正しく書くと新聞紙を貼り合せながら、
広く長く作る必要があり不可能です。
重要な「藤原兼家」の前後(両親)・左右(兄弟姉妹)を書き抜き、
抗争と継承の様子を眺めます。
申すまでもなく、傑出した実力者は「藤原道長」ですが、
系図には[兼家」「道兼」「道長」らの名前も匿名も出ず、
全て消されています。
アンダーライン(赤)は摂政関白を示し、
アンダーライン(青)は太政大臣を示す。
ゴシック文字は藤原⇒宇都宮⇒十亀の系統になります。
父:藤原師輔ーー大納言右大臣。学問に優れ村上天皇の外戚。
母:藤原盛子(南家・藤原経邦の娘)
12名の子供(伊尹、兼通、安子、兼家、遠量、忠君、
遠度、遠基、高光、尋禅、愛宮、公季)
長男・伊尹は摂政・太政大臣にまで上り詰めた。その翌年に早逝。
次男・兼通(子・頼忠)は要領悪く、兼家一族に徹底的に反発した。
両者の子孫は振るわず、三男・兼家の家系に権勢が移った。
藤原兼家: 妻8人以上?⇒子供男5人、女4人(養女1含む)
☆妻1:時姫(藤原中正の娘)(?-981)
・長男:藤原道隆(953-995) 天然痘で死す
・三男:藤原道兼(961-995) 天然痘で死す
・五男:藤原道長(966-1028) 競争相手無くなる
・長女:藤原超子(954?-982)冷泉天皇女御、三条天皇生母。
・次女:藤原詮子(962-1001)円融天皇女御、一条天皇生母。
(東三条院)
☆妻2:道綱母(藤原倫寧の娘)(?-995) 天然痘で死す
・次男:藤原道綱(955-1020)
☆妻3:保子内親王(村上天皇第三皇女)(949-987)
☆妻4:対の御方(藤原国章の娘)
・三女:藤原綏子(974-1004)三条天皇東宮女御、省侍。
☆妻5:中将の御息所(藤原懐忠の娘?)
☆妻6:権の北の方(超子女房大輔、典侍)
☆妻7:--?(藤原忠幹の娘)
・四男:藤原道義
☆妻8:ーー?(源兼忠の娘)
・四女:藤原道綱母の養女(960?-)
図13.兼家肖像
この兼家が当時、極悪非道な人物とされています。
次回に兼家の名誉を挽回して見ます(笑)