皆さん、こんばんは。
ブログ記事を書こうとするとかなり長文になってしまう私です。
何度も書き直して時間ばかりかかってしまう・・・
今回の記事も長文ですが、何回か分だと思ってご容赦ください。
さて、今年の漢字は「令」。
なるほど。
令和元年ですしね・・・。
私は・・・「生」です。
ここでずっとお知らせできなかった仕事について書きます。
まず・・・
今年は「生きること」を強く意識した一年でした。
年明け当時の派遣先の就労時間は短く、時給生活の収入は本当に少なく、食事量を減らして何とか「生きて」いました。
有休も派遣先が指定した日に消化しなければならず、通院日が無給にならないように上限まで処方された薬を自分で計算して減薬してしのぎました。
(医者には手元に過去の分がある、と誤魔化して・・・)
症状が悪化したらどうしよう・・・
・・・やはり「生きる」ことを意識しました。
突然、新入社員が配属される、と契約を切られた時はこれまでの収入でも赤字だった生活をどうすればいいのか、と途方に暮れました。
追い詰められた私に面談まで話しが進んだのが今の派遣先です。
時給は減りますが残業が出来る、ということと職場は女性ばかり、しかも若い人がほぼいないのでてっきり私は就労環境がよいんだと考えました。
が、実際入社するとその考えは大間違いでした。
同じフロアでヒマそうに悠々自適に過ごしていたのは別のチーム。
私はたった一人、毎日就労時間前から昼休みを削って11時間作業してやっとその日の「ノルマ」が終わる日々。
無給の就労の積み重ねと誰も助けてくれない職場。
自分の窮状を派遣先の上司に訴えますが、「慣れればできるから」の一言で全く聞いてもらえず。
チームの女子社員に訴えても「出来るはず」「(担当の仕事は)どれも急いで作業してください」と逆に追い詰められました。
この期間、二度ほど線路に吸い込まれる錯覚に襲われました。
当時の私は、派遣先の人は私が死なないと理解してくれない、と日々「死」を強く意識しました。
状況が変わったのは、勇気を出して「私にはムリだ」「契約を更新しない」「11月で辞めたい」と派遣会社の営業に訴えた後でした。
派遣会社の営業は私の前任者も3ヶ月で辞める、と言ったことから、受け入れ環境に問題があると考え、派遣先に私が継続の意思が無いこと、私の後任は「紹介しない」と言ったそうです。
それからはこれまで無給だった就業時間前の作業に時給をつけてもらえることになりました。
あと、女子社員たちが私の仕事の引継ぎを始めました。
ただ、彼女たちは9時半頃に出社し、17時には帰っています。
彼女たちが遣り残した「ノルマ」は私が残業して終わらせます。
この頃、派遣会社の営業を通して、契約更新の申し入れがありました。
改善する、という口約束と共に。
11月で辞めても次のあてのない私は改善される事を条件に2月まで契約を更新しました。
そして12月。
女子社員による私の作業手順の見直しが始まり、複数のヒマそうな派遣さんへ社員から引継ぎをしましたが・・・
ヒマだった派遣さんから私だけがラクになる、と反感を買うことになりました。
社員からの説得に皆さん「出来ない」「忙しい」と反発、ほとんどの作業は結局私がやることで決着。
ま、全部一人でやるよりマシです。はい。
・・・迎える1月。
・・・チーム内に旦那さんの転勤都合で辞める人がおり、その後任が入ったのですが・・・かなり高齢の方で、仕事の一部しか引き継ぎが出来ない分、玉突き式に私の担当が増えることになり、仕事は減るどころか増えてしまうことになりました。
社員からは「増えても1月に派遣社員を増員して仕事を減らすから」と仕事を引き継ぐよう説得されました。
が、先週、入社予定の方からお断りの連絡があったようです。
はぁ・・・
とりあえず、一年を通して「生きる」ことを強く意識した2019年でした。
今、2020年が少し怖いです。
でも、何かしら頑張らなきゃ、と思います。