どうも、こんにちわ、ケイです。
久々に新記事です(笑)
最近は、ずーっと過去記事の加筆・修正版(大体は、そのままだけど)を更新していますが、今日は何となく気分で新記事を書いてみます。
僕は今、もう大学を卒業して普通に働いてるのですが、自分の変化が著しいので最近思ってることをつらつら書こうかな、と。
テーマというか、言いたいことの核心は「勝手に色んなことにフタすると、人生つまんなくなる。リミッター外すと楽しい。」みたいなことです。
完全に個人的なことですけど、僕は今までお酒飲むのとか好きじゃなかったです。
みんなでワイワイ、みたいな。
アホみたいに騒いで、アホみたいな話をする、みたいな。
そういうのに価値を感じない人間でした。
学生時代にある、文化祭の後の飲み会とかカラオケとか、「マジめんどくさいから、勘弁。」って思ってました(笑)
特に、カラオケとか僕歌苦手なんで、「人前で歌うのとか恥ずかしいし、マジ無理なんですけど。」って思ってました。
パリピーとかやってないんですけど、って。
ただ、最近それが完全にひっくり返りました(笑)
お酒飲むのめっちゃ楽しいし(弱いけど)、カラオケでオールとか全然アリになりました。
中身のないアホみたいな話して、ワイワイ騒ぐのが好きになったんです。
これ、大した話じゃないっぽいですけど、自分の中ではかなりの革命でして。
そもそも、今までなんで「お酒飲んでワイワイ」とか「カラオケでギャーギャー」とか嫌いだったかっていうと空気読んでたからです。
完全に自分をセーブしてました。
「こういう時はこうしなきゃ」みたいに考えながら行動していて、その場を楽しめていなかったんです。
周りの目を気にして、「今自分全然話の輪に入ってないから、そろそろ発言した方がいいかな?」とか「こういうこと言ったら、みんなに引かれるかな?」とか考えてました。
その結果、疲れるわけです。
「自分っぽさ」を考えて発言したり、空気を崩さないようにしたり(もちろん、意図的にぶち壊すのはダメですけど)、過剰に気にしていて全然楽しめていませんでした。
ただ、そもそも「自分っぽさ」って、自分が思ってることとか感覚をそのまま出すからこそ出るわけで、考えて出すものじゃないですよね。
そういえば、イチローとの対談で椎名林檎が言っていたことで「スタイルとは?」みたいな質問に「後付け。」と答えていました。
この言葉、なんか印象に残ってるんですよね。
「俺はこのスタイルで行く」とかじゃなくて、自分をありのままに出していたら、そこに気付いたら「自分っぽさ(自分のスタイル)」があった、というのが本来の形なのかな、と。
考えるんじゃない、感じろ、ってやつですね。
「自分はこうあるべき」ってのが自分を苦しめることってよくあると思うんです。
特に、人間関係においては多いのかな、と。
みんな、嫌われるのを恐れるじゃないですか。
だから、「こう振舞わなきゃ。」とか考えるわけです。
僕も例外ではなくそういう人間だったんですけど、だからこそ空気を読もうとしてたんですけど、最近そういうのがほとんど無くなりました。
その結果、どうなったかっていうと、嫌われる人には嫌われるんですけど、仲良くなる人とはめっちゃ仲良くなります。
そうすると、気持ち的にはめっちゃラクになります。
優等生になって誰からも好かれるより、自分をそのまま出して「合う人は合うし、合わない人は合わない」という生き方をした方が遥かに楽しいし、気持ち的にはラクなんです。
「こういう人に見られたい」とかじゃなくて、「自分本当はこういう人間です」ってのを出した方が楽だし、好かれます。
そして、たぶんそっちのが人生上手くいきます。
「本当の人生生きてる」って実感が増すはずです。
自分で勝手に境界線を引いてると、どんどんつまらなくなっていきます。
「自分らしさ」を意識した結果、自分らしくなくなっていくわけです。
もちろん、「こうあるべき」とか「こうなりたい」とかって大事なんですけど、それって今の自分を受け入れた後ですね。
「ありのままの自分はこんな感じだぜ」ってのを出し切ったあと、それを踏まえて「どう変わっていこうか?」と考えるのが自然です。
「こうあるべき」を頭で考え過ぎると、そしてそれによって今の自分を否定するとキツいですね。
とにかく自然体で。
嫌われてもいいから、自然体で。
ラクに行きましょう。
って話です(笑)
ちょっと感覚的な話なので、論理とかあんま考えてないですけど、ニュアンスを受け取っていただければ、と。
それでは、またー(´-ω-`)
最後まで読んで頂きありがとうございました。
質問・感想・相談はご自由にどうぞ。
↓↓記事更新のエネルギーが補充されます ポチッとクリックお願いします(ブログランキングサイトに飛び、このブログのポイントに10p加算されます)☆