※この記事は、2014年7月~2015年10月の間に
アップされた記事に「加筆・修正」を加えたものとなっております。
リアルタイムでの配信は、
今後メールマガジンにて行っていく予定です。
登録はコチラからお願いします(もちろん、無料です)。
――
前に、テレビの「世にも奇妙な物語」スペシャルで『未来ドロボウ』という話を観ました。
観た人いますかね?
色んな話がやっていたのですが、僕は、この話が一番印象深くて覚えています。
これは、神木隆之介君演じる一人の青年が、ある大富豪の老人と出会って、最終的にものすごく大きな「気付き」を得る作品です。
その青年は大学生で、彼女にフラれたショックと、就職が一向に決まらない状況の中で、自分の人生に絶望していました。
そしてある晩、橋の上から身投げしようとしていたところ、ある男に声をかけられるのです。
その男は、自身の研究で莫大な富を築き、誰もが羨むような豪邸に暮らしている「人生の成功者」でした。
彼は、もう結構な年を取っていて、青年に「自分の財産とお前の未来を交換しないか?」といったような話を持ちかけます。
自分の未来に対して絶望し、自暴自棄になっていた青年は、詳細をよく聞かないままそれに合意し、契約書にサインをします。
すると翌日、何と二人の魂はそのままに、肉体だけが入れ替わっていたのです(青年は、具体的にそうなる事までは知らされておらず、「騙された」と感じていました)。
そして、青年は老人の人生を、老人は青年の人生をお互いに経験する事になったのです。
青年の肉体を手にした大富豪の老人は、元気溌剌とした表情で友人とフットサルをしたり、別れた彼女にも愛想良く声をかけたりしていました。
そして、色々と運が良い事が起こり、会社の内定も決まりました。
一方で、老人の肉体を手にした青年は、老いた身体を持て余し、大きな絶望を感じていました。
実は、老人の体には死期が迫っていて、咳き込むと手のひらには真っ赤な血が滲み、青年は「死の恐怖」に怯えました。
そういった状態の中では、いくら財産があっても、何も自由にやる事ができず、ただ虚しさを感じるばかりでした。
そして、(老人の肉体を手にした)青年は、またあの橋で死ぬことを決意します。
しかし、そこから身を投げようとしたその時、またあの(青年の肉体を手にした)老人が現れ、こう言います。
「ここ数日、自分が見てきたことや感じてきたことはどれも新鮮で、老化した身体では味わえない至福の時だった。」
「友と汗を流したり、恋愛をしてみたり、今一度、青春というものを体験できた。」
一方で青年は、
「老いた肉体では、時間が長く感じ、何をしても何も感じない。悲壮感と孤独感がただ過ぎていくだけだ。何よりも、死ぬのが怖い。」
と応えます。
そして、「もう一度だけ問おう。財産と未来、どっちを選ぶ?」と聞かれます。
結局、彼は「自分の未来」を選ぶことにしました。
最悪だと思っていた自分の状況が、実はものすごく可能性を秘めた「かけがえのないもの」だったという事に気付いたのです。
エンディングでは、道を颯爽と走り抜け、大学で別れた彼女を見つけるや否や、力いっぱい抱き締めるシーンが描かれています。
「時間の大切さ」というのを描く作品はよくあると思いますが、やはり見る度に心に響くものがあります。
「不完全こそ、完全」という事に気付かされます。
つまり、ゴールが見えないプロセスにこそ価値がある、という事です。
先が見えないからこそ価値があり、先が見えることほどつまらないものはありません。
完成してしまったものは、老朽化していくだけなのです。
昔、島田紳助さんが、若手芸人に講義をした時の動画を観たことがあって、その中でも、
「夢が叶うことは、夢を失うこと。」
「夢を語り合ったら、今の俺はお前らに負ける。」
「10億で売ってくれるなら、お前らと代わりたい。」
と、ちょっとだけ涙を浮かべながら語るシーンがあります。
また、成功した起業家は、
「新しいビジネスを始めても、先が分かって(上手く行くことが分かって)つまらない。」
という事を口にします。
想像力が乏しいと、「嫌味かよ!」と思うかもしれないですが、おそらく彼らのリアルな感覚なのだと思います。
だって、先が分かること、予測がつくことほど、つまらないものは無いからです。
例えば、テレビゲームは、極めれば極めるほど徐々に飽きてきます。
簡単に勝てるから、「やりがい」が無くなるのです。
だから、みんな「縛りプレイ」をする訳ですよね?
「簡単に上手く行くこと」ほど、つまらないものはありません。
実は、「上手くいかない事」「壁がある事」にこそ、大きな価値があるのです。
制約があるから、縛りがあるから、困難があるからこそ、そこに「やる価値」があって、僕らはそこに没頭する事ができます。
困難が目の前にある時ほど、先が見えない時ほど、貴重な時間はありません。
何か壁にぶち当たった時、僕らはどうしても「最悪の状況だ」と思ってしまいますが、今日話したような観点から俯瞰してみれば、それこそが「最高の状況」なのです。
感情的にはそう思えなくても、いつだって、そういった「真理」を頭の片隅に置いて、忘れずにいたいものです。
一見、矛盾した表現ですが、「不完全こそ、完全」なのです(*´ω`)
最後まで読んで頂きありがとうございました。
質問・感想・相談はご自由にどうぞ。
↓↓記事更新のエネルギーが補充されます ポチッとクリックお願いします(ブログランキングサイトに飛び、このブログのポイントに10p加算されます)☆