※この記事は、2014年7月~2015年10月の間に
アップされた記事に「加筆・修正」を加えたものとなっております。
つい最近、ブックオフで立ち読みをしていました(笑)
それが何なんだって話なんですが、今日はちょっとそこで考えた事を書こうと思います。
僕は結構、何かに付けて「考える」のが好きです。
「あーでもない」「こうでもない」と悩みながら、自分なりのロジックを組み立てるのが趣味です。
それが役に立つからとか、頭を良くしたいからとかではなく、単純に面白いからやっています。
物理世界での運動と同じレベルで、抽象世界で運動する(頭の中で思索する)のが好きです。
昔からそういう趣味があるわけではなく、浪人期くらいから色んな知識を学んでたら、自然とそれができるようになりました。
物理世界で色んな遊具を与えられたら、それを組み合わせたりして、自然と新しい遊びを生み出せるようになるのと一緒の感覚です。
頭の中に一定量の知識を入れると、勝手に自分なりのロジックを組み立てられるようになります。
この楽しさを知ってもらいたいがために、「勉強って面白いですよ。」と言ってる側面があります。
ある程度何かを勉強すると、自分の頭で考えられるようになるのです。
それは役に立つだけでなく、単純に娯楽として面白いです。
それで、今回もブックオフで立ち読みしてたら、考えさせられる場面に出会いました。
僕は、軽いタッチの『仏教系の本』を立ち読みしてたのですが、途中で腰が痛くなってきました。
ふと横を見ると、高いところの本を取るための脚立があるではありませんか(笑)
僕は、思いました。
「やべぇ、あれに座りてぇ」
ただ、何となく感覚的に座ってはいけないような気がしました。
「店員に見つかったら、怒られそうな気がするな~」と思いました。
ただ、そこで「ん~、でも、なぜ脚立に座ってはいけないのだろう?」とふと疑問に思ったのです。
周りには脚立を使いたそうな人は見当たりません(というか、そもそも人がいません)。
だったら、迷惑がかかる人もいないでしょう。
脚立に座ったらお尻が汚れそうですが、それは僕が「別に、それでいい」と思えばOKな話です。
「店側に何かデメリットがあるだろうか?」
僕は考えてみました。
「もし、座った事によって脚立の強度が落ちたら、買い替えるペースが早まって店側の損失になるかもしれない」
一瞬そう思いました。
「ただ、僕がこの脚立を腰かけるのに使ったとしたら、店にいる時間が長くなり快適に過ごせて、本を買う可能性が高まるのではないか?」
「僕が店側の立場だとしたら、お客様の快適さを一番に考え、それが結果として長期的な利益につながると考えるような気がする」
「どっちかと言ったら、僕みたいにお尻の汚れを気にしない人なら使わせた方が良いんじゃないか?」
「座ってみるか」
「いや、でも、明らかに注意されそうだな」
ちょっと葛藤しつつも、店側のデメリットがそんな無いような気がして、座ってみる事にしました。
すると、1分後くらいに「脚立に座るのはご遠慮下さ~い」と軽く注意されました(笑)
「やっぱ、そうか(笑)」
直感通りに注意されました。
「ここで自分の論理を説明するために時間を割くくらいなら、立ってしまった方が良い」
そして、僕はまた立ち読みをするのでした(笑)
すると、しばらくして、「なぜ、店員さんは注意したくなったんだろう?」とまた疑問が湧いてきました。
「本を取ろうとする人に迷惑がかかるから」
ひょっとしたら、そういう理屈もあるのかもしれません。
しかし、ここからの話の展開上、そういうのは無しにして下さい(笑)
さっきも言った通り、周りには人がいなかったので、迷惑をかける人はいません。
「この先、現れるかもしれないから」というのも、ここからの話の展開上「なし」でお願いします(笑)
では、どうして注意したのでしょうか?
僕が思ったのは、「脚立=本を取るもの」であって、「脚立=座るためのものではない」という感覚があったから注意したくなったのではないか、という事です。
つまり、「○○とは、××をするためのものである」という固定観念を持っていたという事です。
僕が、座る前に感覚的に「怒られそう」と思ったのも、おそらくこれが原因です。
もちろん、それが「悪い」とかいう事ではありません。
人間としては、それが「当たり前」の感覚です。
僕はそう思った時、ある一つの話を思い出しました。
それは、とある「田舎のバー」が賢い方法でお客さんを集めた時のお話です。
そのバーは、人通りの少ない場所(というか、ほぼ誰も通らない場所)に建っていて、経営的にピンチでした。
しかし、そこで何をしたのかと言うと、高校生向けに「クレープ」を販売したのです。
そこは人通りがほぼ無かったものの、登下校する高校生たちは頻繁に通っていました。
そこで、彼らをターゲットに「クレープ」を販売して、たくさんの高校生をお客さんにする事に成功したのです。
この店のすごいところは、「バー=大人が来るもの」という固定観念に囚われなかった事です。
発想を自由にして、「バーに子供を呼んじゃってもいいんじゃない?」と考えられた事が成功要因だったのです。
僕は、「脚立=本を取るためのもの」という固定観念によって注意されたのかもしれない、と思った事から今の話を思い出しました。
そして、今のような些細な場面にも「固定概念による縛り」ってのが垣間見えるなぁ、と思って一人で感心(?)してしまったのです。
「やっぱ、発想を自由にする(固定観念に囚われない)って、意識してないと難しいよな~」
僕は、注意されて思索した事によって、全く思いもよらぬ結論にたどり着きました(大事なことを思い出しました)(笑)
だから何なんだって話なんですが、「考える事は楽しい」っていうただそれだけの話です。
ちなみに、店側(ブックオフ)としては、脚立に座るような奴が周りに気を配って脚立に座ってるとは思わないし、そんな人は少数派なので、あの場面では「注意して、正解」だと思います。
実際、注意したのは「本を取ろうとする人に迷惑がかかるから」って理由が大きいと思います(話の展開上、スルーしましたが)(笑)
まぁ、色々と考えるネタになったからOKです。
店員さんは業務を全うし、自分は思索を全うし(?)、「めでたし、めでたし」って事です(何が)。
そして、僕は「これも、何かの縁起かな」と思ってブックオフとしては高めな760円の『仏教系の本』を買って、店を後にするのでした。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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