自分が卒業した高校は世田谷区松陰神社のすぐ近くにあったが、十年ほど前に統合されて現在校舎は跡形も無い、その跡地に国士舘大学が建った。
この国士舘の卒業生の中には、柔道オリンピック二連覇・金メダリスト内柴正人、鈴木敬氏がいる。
この大学は昔はヤ〇ザ養成所と言われ、喧嘩っ早い学生が多く、就職口は警察関係が多く、昭和の時代には大学で理事の刺殺事件があった。
高校二年の時、クラス全員に自分をどう思うか、その感想を書かせた先生がいた。
感想は無記名だったが、あくる日、授業中に一人の女子生徒を立たせて大声で叱りつけた。
先生にとってよほど気に触ることが書かれてあったのかもしれないが、先生は誰が書いたのか、生徒一人一人に聞き回って、書いた生徒を突き止めた。
男にしては恐ろしく執念深い腹の小さい教師であった。
怒られた生徒は青くなって、それ以後不登校ぎみになった。
現在であれば、皆の前で自分の子供が怒られたら、親が出てきて大騒ぎになるが、当時は現在と違って大人しい親が多く、先生や学校にイチャモンをつける親もほとんどいなかった。
現在でも、教師が生徒に対してどう思われているかなどという質門をして感想を書かせて提出させれば人権上問題になるが、教師は人間としてよほど自分に自信の持てない男だったのであろう。
このことから言えることは、自分が人にどう思われているかとか、そんなことではなくて、むしろ自分が相手をどう観るか。
このように他人の眼を気にする人は案外多い、しかし、人は自分が思うほど自分を見てる訳ではない、という法則を十分承知しておかなければならない(大川隆法)。