私が初当選させていただいたのは
2011年(平成23年)のこと、ちょうど10年前です。

 

市議となって初めて、私は『夜間中学』の存在を知りました。

当時は(そして現在も)、多様な学び直しの場として、自主夜間中学『札幌遠友塾 』の名称で、1990年からボランティアスタッフにより運営されていました。

 

市議になりたての私に、

遠友塾代表(当時)の工藤さんをはじめスタッフの方々を紹介してくださったのは、今は亡き私の一期先輩議員であった宗形雅俊先生(南区選出)でした。


その後、向陵中学校(中央区)の教室の一部を使用して開かれている『遠友塾』へ同僚議員数名で視察に行ったことが、私にとっての夜間中学との関わりのはじめの一歩となりました。

 

初めて教室を訪れた時、

驚いたのは生徒さんの殆どが高齢者の方々で、若い方は「先生役」のボランティアの方々だったことでした。

本当に熱心に学習する姿に胸を打たれると共に、長い間社会生活を営まれているにもかかわらず、実際には「読み書き」(特に漢字やアルファベット)ができないために日常生活に不便を感じていらっしゃる方が少なからずいらっしゃることにも衝撃を受けたことを覚えています。


その後、私と「夜間中」との関わりは一気に増していきました。

委員会質疑や議会への陳情のための度重なるヒアリング、教師役の大学生との交流、『夜間中学』の存在を一人でも多くの方々に伝えたい気持ちから、札幌大学の地域公開講座『西岡塾』の講師役として工藤さんをご紹介したり、インターネットテレビへの出演、ZOOMを使ってのご講演も依頼したりしました。

他にも道内の自主夜間中学の交流会への参加、文部科学省政務官の中村裕之衆議院議員が『遠友塾』に来られた時に案内役を務めたこともありました。

 

上矢印中村文科省政務官と共に視察

 

 

 

昨年9月には後輩議員と共に視察へ。

この時は、新型コロナウイルス感染症対策のため、会場は向陵中学校から教育文化会館へ移動していました。

 

 

(昨年9月 教育文化会館での遠友塾の案内も工藤さんが対応してくださいました)

 

 

このように私でさえ、今、様々なことが思い出されてきます。

ましてや、代表であった工藤さんやボランティアスタッフの皆さん方の運営のご苦労と、行政への様々な要望、陳情などの働きかけの長きにわたる日々を思うと本当に頭が下がります。

 

そして…10年前、私に夜間中の存在、抱えているその課題の重さ、

社会が必要としている学び直しの大切な教育の場であることなどを教えてくださった故 宗形先生にも報告したいと思います。

2018年 平成30年5月20日、宗形先生は63歳という若さでご逝去されましたが、我が会派の幹事長であった当時、夜間中学に関しても他会派との調整や声掛けにもご尽力されていらっしゃった姿が思い出されます。合掌。

 

 

2022年 令和4年4月 

開校するまで、そして開校してから、多くの課題がでてくるでしょう。

計画案には、

札幌市の目指す「公立夜間中学」の姿として、一人一人の夢や願いの実現につながる多様性を尊重した学校づくりと、

生徒の誰もが安心して学びの主役となれる学校の環境整備の2点が書かれています。

ボランティアの皆さまのこれまでの積み重ねを崩すことなく、多様な学びを守るため、引き続き注視してまいります。

 

 

 

私の過去のブログから…

ダイヤオレンジ「北海道に夜間中学をつくる会」定期総会

ダイヤオレンジ公立夜間中学校 基本計画に向けて

ダイヤオレンジ今年最後の・・・