受け入れがたいものを受け入れる | ひとしずくの純金

ひとしずくの純金

たったひとつのわたしの生き方を見つける旅

 

首が痛い。
首が回らない。

借金じゃありません。
寝違えました。

あほですね。



昨晩の寝入りばな

「このまま寝たら首痛くしちゃうな・・・
 でも眠すぎて動けない・・・」

の記憶を最後に朝起きたら
首が痛くなっていました。

自業自得とはいえ受け入れがたい。
あほですね。

 



今日は一日オンラインだったから
お陰様でなんとか・・・

ホントいい年して寝違えたとか
たいがいにしないとですね。









受け入れる。

人は何かを「受け入れること」を
あまりに安易に要求し過ぎではないだろうか。

何かを受け入れるって

けっこう大変なことだと思うのだけれど

 

自分はなかなかできなくても

他者には簡単に要求してしまう。


そんなふうに思う場面に
たびたび出合います。



過去を受け入れる
自分や他者の過ちを受け入れる
容姿を受け入れる
病気や障害を受け入れる
事実を受け入れる
年齢を受け入れる

限界を受け入れる

 



いろんな場面で「受け入れる」ことを
期待されることは多い。



受け入れられない何かを抱えることは

弱さであったり
向きあい方が足りないことであったり
器が小さいことであったり、、、と

どうもよろしくない評価になりがち
ではないでしょうか。



受け入れるべき
受け入れたなら〇〇なはずだ
受け入れてないから××なんだ

と批判されることは多い。



細かいことを言えば

”まだ” 受け入れられなくて当然

などという擁護の表現もあるけれど
これなんかも

時間が経ちさえすれば
受け入れるはずだ、

という前提があるから
「まだ」と言うのでしょう。

受け入れることが是である、という

価値観が根底に流れているのです。




受け入れた状態をどうみなすのか、
は議論の余地があるにしろ

人はそう簡単に


受け入れがたいことを
受け入れられるものなのだろうか?

と思います。



受け入れがたいと知りながら

受け入れるはずだと期待するのは、


本人が受け入れてくれたら
周りがラクになるという

周囲の希望

というのが本当のところではないかな
などとも思います。



本人が受け入れたことにしてくれたら
周りはその苦痛を感じずに済みます。

話を終わったことにできるし

苦しんでいるかもしれないと思いめぐらす
わずらわしさからも解放されます。

 


「受け入れたんでしょう?」

というお札をかざせば
相手の「苦しさを」を封印できる。

言葉で出そうが

無言のまま表情で出そうが同じ。


一日も早く
「受け入れた」と過去形にしてくれれば
周りがラクなのです。



ご本人だって周りに負担をかけたくないし
妙な気遣いをされるのも居心地が悪いし

そんな思いをするくらいなら
受け入れたことにしてしまったほうが
ラクだと思う。

そんなことだって起こるでしょう。

 

 

 

受け入れたことにしたい周囲と

受け入れたことにせざるを得ない本人とが

 

まだあるあはずの痛みを共犯的に

無かったことにしてしまう。

 

気づかないことにしてしまう。

とても切ないことだと思います。




改めて考えるまでもなく

 

何か受け入れがたいことが起こったとき
それを受け入れるのはそう簡単ではない。

直線的に進むものではなく
行ったり来たり

割り切った気持ちになる日もあれば
あぁ、やっぱり・・・と思う日もある。



そういう揺れを何度も繰り返しながら
少しずつ気持ちの置き所も変わっていく。

それは、そんなに思うほど
短期間では起こらない。

そういう面があると思います。



あったものを失うとか
得られるはずのものが得られなかったとか
手に入れかけた何かを逃したとか

そういう体験が
そう簡単に受け入れられるだろうか。

受け入れることを強いるのは
失ったものの本質を充分に理解できていない

そんなところがあるように思います。



失ったもの
得られなかったものの

表面的な面だけでなく
それによって同時に失われた

自分というものだったり
生き甲斐だったり
人生そのものだったり
その人自身のありようだったり

あるはずの未来だったり



そういうもっと自分の本質に近い何かを
失ったと考えたら・・・

そう簡単に「受け入れるべき」などと
言えるはずもない。

そんなふうに思います。



「受け入れる」とは
ご本人の内的な作業であり
周囲がどうこう言えるものではない。

周囲のスピードではなく
ご本人のスピードが守られるべきことだ。

もっといえば
受け入れるか否か自体を含め
ご本人が決めること。

受け入れなければならないなんてこと、
誰も強要できないはず。



受け入れることが、結果として


赦しにつながったり
心からの贖罪につながることは
 

確かにあると思います。

第三者の立場であれば

(であるからこそある種の無責任さで)
 

「そうなると楽になるだろうな」

「新たな人生が拓けるだろうな」


と思うことだってあります。



それでも。

それが分かっていても
やはり必要な時間を経てはじめて

誰に強いられるでもなく
自らその出来事を受け入れられる瞬間が
やってくるのだと思います。
 

 

 

その途中、

もしも時間を分け合うことがあるなら

 

少しでも支えになれたらいいな

と思います。

 

何をどうするのが支えになるのか

すぐには分からなくても

 

分かろうとする人間がいるだけでも

違うだろうと思いたいのです。

 

 

 

 

カミヤカオリ

 

 

 

 

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