自分に向き合う。
いろんな意味で
使われていると思いますが・・・
使われていると思いますが・・・
自分を責める方向でなければいいな、
と思います。
自分に向き合うって
『自分はダメだ』
と反省することではないのですから。
自分はダメだ
自分はできていない
自分は足りない
自分はできていない
自分は足りない
こんなふうに
自分を責めるのは
自分を責めるのは
向きあうというより
たたくとか
いじめるとか
苦しめるとか
いじめるとか
苦しめるとか
そんな息苦しさを
感じてしまいます。
感じてしまいます。
みなさんはいかがでしょうか?
自分に向き合うとは、
自分にダメ出しをすることではなく
自分を静かに見つめる目をもち、
等身大の自分にあった生き方を選ぶこと
だと私は思うんです。
等身大の自分にあった生き方を
選ぶには
飾らない素の
自分を知る必要があるし
自分を知る必要があるし
自分の気持ちに従う
素直さがいるし
素直さがいるし
自分の気持ちを表現する
勇気もいるし、で
勇気もいるし、で
こころのパワーを使うし
自分を見つめるための準備も
必要なんだと思います。
やみくもに
自分にダメ出しをしても
自分に向き合うことにはならない。
自分にダメ出しをしても
自分に向き合うことにはならない。
これはある種の
厳しさもありますね。
厳しさもありますね。
誰かがいう
いい・悪いの基準を捨て
いい・悪いの基準を捨て
自分は何を感じているか?
と自分自身に
問い続ける力がいりますから。
問い続ける力がいりますから。
答えを誰かに
与えてもらうことをやめ
与えてもらうことをやめ
自分で見つける力を養う。
これはけっこうたいへんだ。
自分と向きあうことが
時にむつかしいのは
時にむつかしいのは
こういうことが
あるからだろう。
あるからだろう。
自分がいいと思うもの
自分に必要だと思うもの
自分に必要だと思うもの
これを自分で見つけ
自分で選び取る力、
自分で選び取る力、
その大前提にある
自分に向き合う力
自分に向き合う力
そんな力を育てるための
時間をご一緒しています。
時間をご一緒しています。
ただ自分を責めるのではない
『自分と向き合う』を
やってみたい方、
ご連絡お待ちしていますね。
さてさて。
東京はひどい雨でした。
月曜日、お疲れ様でした。
カミヤカオリ