ついお節介してモメてしまうあの人との関係 | ひとしずくの純金

ひとしずくの純金

たったひとつのわたしの生き方を見つける旅

他者とのかかわりというのは、
嬉しいことや、楽しいことをもたらしてくれる一方で、

時にとても悩ましく、煩わしく感じさせることも
連れてきます。

特に”距離感”について
とまどうことは多くの場面でありそうです。

身近な人がごたごたやっている。

どうしたんだろう、
困っていそうかな、
助けがいるかな、

と、気にかかる。

気にかかって、すっと声なり手なりが出せれば、
そして、
それが相手にとって
適切なタイミングと内容のものが差し伸べられたなら、

よかったよかった、
めでたしめでたし、

なんだけれども。

いろんな経験を積むと、
その最初の一声がかけられなくて
ふと立ち止まってしまう。
ということもあります。

「お節介になっていないだろうか?」

こう思うから、ですよね。

人は自分で選んで自分でやりたい。
そういう生き物だと思います。

失敗さえも含んで、
そこに至るまでの選択は自分でしたのだ、
と思いたい。

誰かに支配されたくないのです。

誰かの思惑通りにさせられたくないのです。


親が子に手を貸すとき、
上司が部下にアドバイスするとき、
年長者が年若い人に教え諭すとき、

ちょっと躊躇してしまうのは
それを思うからこそ。

といって、
無視できるわけもなく、
積極的に失敗を願うわけもない。

うーむ。

・・・距離感に悩むわけです。



カフェオレ




「執着のない関心」

をもつ、といったのはエリクソンだそうですが
(精神力動的な発達心理を提唱した理論家)、

この言葉がヒントになりそうだなぁ、と思います。

当人に参考になるものがあるなら
知恵でも、スキルでも、もちろん喜んで差し出すが、
できれば主体性に任せる。

そんなスタンスでしょうか。

誰しも捨てがたい”執着”というのはもっているもので、
なかなかその境地に至るのは並々ではなさそうです、、、

が、
考え方の方向性の一つとして(笑)。


・・・という意味では、
自分が一体何に執着しているのか?
を見つけるというのは、

つい、余計なお節介をしてごちゃごちゃともめてしまう
あの人との関係

について、
ちょっと別の可能性を探るきっかけになるはずです。


体験セッションやっています。
お問合せお待ちしています。^^


カミヤカオリ

▶コーチング/カウンセリングの詳細・お申込みはコチラ