話すことはまとまってなくても | ひとしずくの純金

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たったひとつのわたしの生き方を見つける旅

カウンセラーと二人で50分間・・・ いったい何を話すんだろう。。。


このもやもやした気持ちをどこから話せばいいんだろう。。。


話したいことはいっぱいあるような気がするのに、いざ話そうとすると、どこから話していいかわからない。。。



思い返せば、私もそうだった・・・かな。


私のときは、最初の1回目、2回目くらいまではカウンセラーさんが質問してくれたことに答える、というふうに進んだから、悩まずに済んだけど、回が進むにつれてだんだん放置ぎみに(笑)。


毎回、「こんにちは。」のあと、何を話そうかな・・・はぁ・・・しーん・・・ みたいなこと繰り返していましたねぇ。



それが良かったんだと思います、今は。


質問されれば楽ですが、せっかくの自分と向き合う時間が、そうではなくなってしまう。


日常では、「向き合う」を妨害する誘惑がたくさんありますものね~(笑)。



結果、ぽつぽつと話すようになったことは「ただただ頭に浮かんだこと」。


最初のうちは、前回から今回までの間に起こった出来事とか、考えた事とか、一所懸命に?理路整然と話そう!と固くなっていたのだけど、それもだんだんどうでもよくなっていって。


そういうプロセスが私には必要だったんだろうな、と。


自分が自覚している以上にカタクルシイ人間だったのねぇ、私って!・・・と嫌になりましたけど(笑)。



と、考えると、話す内容もさることながら、そこに向かう姿勢そのものにも意味があるんだなぁ、なんて思います。


カウンセリングで意味があるのは、対話の内容そのものだけではなく、カウンセラーとどういう関係を築くか、どういうプロセスでその関係が築かれていくか、なんてことが大切だったりします。


だから、一人でなく、二人で対話する意味がある。


話す内容はまとまらなくても、ちゃんと「課題」はカウンセリングの場に浮かび上がってくるものだったりします。不思議だけど。



コーチングと似ているけど、違う点、こんなところにあるのかも。



カミヤカオリ