偶然でなく風穴をあける | ひとしずくの純金

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たったひとつのわたしの生き方を見つける旅

さてと。


カウンセリングは自分との対話のようなもの。


というならば、じゃぁ、なんでカウンセラーと話をするのか?


・・・という、振り出しに戻る、的な疑問がわくわけです。



時間と、労力と、お金とを費やして臨むんだから、やっぱり、それなりの違いを感じたい。し、元を取りたい。


その通り。



一人と二人から生まれる違いってなんだろう、っていうことに尽きるんだけど、実際、どのくらい違うのかな。



一人でカウンセリング的な対話をする、というのは、自問自答形式だよね。


一人禅問答のような。


内観療法というセラピーもあるし、


日記という文字を使った対話もあるし、


ただただひたすらぐるぐると考え続けるということもあるし、


ことさらに言わなくても、誰もが自分なりのスタイルで「自分との対話」って普段からしているし、それを利用したセラピーもある。



一方、二人で話すというのは、なんだかんだいって、やっぱり自分ではない他人に話をするということが大きな原動力になる。


例えば、


・ちゃんと伝わるように話そうと言葉や表現を選ぶ


・何を話そうか迷ったり、判断したりする


・相手によって話す内容や話し方を変える


・相手から反応がある


・相手から質問される


・相手から感想を聞くことがある


というように、自分だけの時とは違って思考に風穴があくような効果があるんじゃないかな。


当たり前のようで、これは体験してみると大きな違い。


友達とおしゃべりしていても、ふと「あぁそうか!」ということはあるはず。


それを偶然にまかせるのでなく引き出していくのがカウンセラーの役割。



そもそも、カウンセリングに期待をかける状況にある人というのは、自分一人での対話はすでに充分すぎるほどぐるぐるやってきたんじゃないかと思います。


だからこそ、「こんなにぐるぐる考えたんだから、たった50分話しただけで、どうにかなるわけない」とも思っているかもしれない。。。


うーん。


確かに、1回ではなんともならないかもしれない。


一番必要としている人が、そう思って試すことをあきらめているとしたら、もったいないことだなぁ。。。



前にも書いたとおり、ぐるぐる考える思索的な人には、カウンセリングは向いていると思うから。


旅に出る前が一番どきどきするときかもしれません。


出立してしまえば、あとは流れにのって目の前のことを越えていくだけ。


・・・なんだけどね。


それがやっぱり最初の一歩たるところ、だとも思います。



お声がかかるのを待ってます。



カミヤカオリ