-求めよ、さらば与えられん
元の意味より、転じた意味のほうで使うことがもっぱらな私ですが、好きな考え方です。
ほしいものがあるなら、成し遂げたいことがあるなら、与えられるのを待つのではなく、自ら手を伸ばして得ようとする、その姿勢が大事。そうすればそれはいずれ手に入るハズだよ、っていうメッセージ。
ぼーーーっと待つだけの姿勢を非難する言葉ともとれるけれど、どちらかというと希望のある言葉だなぁ、と思う。
そもそも、そんなに簡単に手に入るものなら、こんな言葉を頼らなくてもいい。たぶん、すぐに手に入るか、大して必要ではなくて、我慢してやり過ごしてもOKなものだったりするんだろうから。
だけど、こんな言葉にすがらないと諦めてしまいそうなほどの道のりを経る必要がある遠い先にあるモノがほしいとしたら?
途中、きっと何度も諦めそうになるだろう。
何度も嫌になるだろう。
やめる言い訳を考えるだろう。
そして、「どうしてこんな道を選んだのだろう?」と自問自答を繰り返すかもしれない。
そういう自分にとってチャレンジングなモノがほしいと思ったとき。それが本当に心からほしいモノであったなら、『求める気持ちがあれば与えられる』と信じることができるのは、大きな救いになる。
私がほしいと思うのだから、与えられるんだ。
この気楽さ?があれば、遠い道のりも乗り越えられる。進んでいける。希望をもって歩いていける。
何かを成し遂げるっていうのは、時間とうまく付き合う必要があるから。曖昧さに耐える力が必要になってくるから。
だから、気楽に未来を信じつつ、日々は目の前のことに取り組む。
それだけのことをやるだけの価値があるのは、本当に心の底から望むことだけ。
自分に正直に。
カミヤカオリ