受験に必要なものは?


かつて大阪に1957年から1986年まで伸学社(通称入江塾)という塾がありました。

ちょうど伸学社の後半が私の小中学生時代に重なるのですが、とても有名な塾でした。


私はこの伸学社という塾が行っていたことが、全て良いと肯定するつもりはありません。

ただ、間違いなく今の大手進学塾にはないものがここにあり、この伸学社の理念のようなものが、社会で活躍するためには必要なことだと、実感している一人であるというだけです。


さて、前回、最後にお話したことの答えです。

「成績が伸び悩んだ時に競ってすること」は何かということですが、答えは、


「便掃」
要するに便所掃除なのです。



この時点で、お読みになっている方の中には、「あり得ない・・・」とお考えになった方が結構な数いらっしゃると思います。


でも、これは、事実なのです。


当時、浜学園に生徒として在籍していた私ですら、この話は有名な話として、浜学園の先生からお聞きしたことは、忘れもしません。

 

伸学社は灘高・東大の合格者を多数出しているという点からすると、中学受験が中心の今の大手進学塾と立場が異なるかもしれません。
 

しかし、精神科医の和田秀樹先生が『伝説の入江塾は、何を教えたか』の前書きの中でお書きになっていますが。

「高校受験であれ、大学受験であれ、それは通過点であり、本当に身に付けなければいけないのは、主観的、主体的に考える力であり、社会に生き抜く力だということだろう。」


塾頭であった入江先生は、主観的、主体的に考える力を求めておられたのだろうと、和田秀樹先生はおっしゃっています。



お亡くなりになった京セラ名誉会長の稲盛和夫さんが、いつも「人として正しいことをする」「私心なかりしか」とお考えになっていたことは、よく知られているところです。


私は入江先生が行っていたことは、稲盛会長がおっしゃっていたことと通じる部分があると思っています。


今の中学受験の大手進学塾は、


とにかく合格することが重要である
そのためには、どうやって問題を解くかが重要である


このことしか、教えていないのです。


ですから、他人を蹴落としても勝てばいい、自分の子どもさえ良ければいい、と子どももご家族もなっているように思えてなりません。


入試なのだから当然だと言われるかもしれません。

 

人として、他人を蹴落として良いかと言われて、良いと言う方はほとんどいらっしゃらないと思います。


しかし、中学受験になると、事情が変わるのです。

効率だけを追い求め、少しでも楽に成績を上げ、合格を勝ち取るか、だけを追い求めているように思います。


その結果、子ども達が歪んでいき、打たれ弱くなり、不合格になる、合格後にうまくいかなくなるということが多々出てくるのです。


このことは、今の大手進学塾はわかっているはずですが、説明もせず、知らん顔を決めています。


学校教育は徹底的に批判されることが多いのですが、中学受験塾だけでなく塾全体が、以前に比べて批判されるよりは、どこかで容認されているように思えてなりません。


これだけ大きな産業に成長したのです。

それだけ社会に与える影響も大きいのです。


だからこそ、大手塾が率先して、稲盛会長がおっしゃって来られたような「人として正しいことをする」ことを子ども達に伝えてほしいと思うのです。



私は自分自身が良い人間などと思ってはいません。
正直、ろくでもない人間です。

お世話になった先生方に、恩を仇で返してきた、と言われても仕方がないと思っています。

ですから、私が言うのはおこがましいことは、百も承知です。



それでも、今の中学受験の大手進学塾が、入江塾のように「人間7、学力3」とは言いませんが、もう少し「人としていかにあるべきか」ということを、子ども達に伝えてほしいなと思います。


私がこれまでご縁をいただいてきた多くの偉大な師と同様に、旭進学会の荒井先生を尊敬申し上げているのは、子ども達に「人として正しいことをする」「共に学んでいる仲間を大切にする」ということを、塾生に徹底していらっしゃるからなのです。


https://ameblo.jp/gaucho629/entry-12775701038.html

 

 

抵抗を感じることにことにこそ挑戦することが、真の実践力の基礎となることは明らかです。

その挑戦をすることで、自分に対する信頼を子ども達に持たせることを、荒井先生は大切にされています。

つまり、子ども達に人としての「自信」をつけさせてあげたいと荒井先生はお考えなのです。




(つづく)