ちょいと、話を戻そう。
彼との出逢いは前章で書いた通りだが、私とこうなった経緯について、触れてみたい。
彼と出逢った翌週は桜が満開の4月1日だった。
近所には大きな公園があり、毎年、さくらの季節になると、
方々から、たくさんの花見客が集まる。
年々、開花が早まる昨今、私たちには「花見」などする余裕などなかった。
そんな二人が出逢って一週間というスピードで、”ともだち”になったのだ。
友達の少ない私にしたら、珍しいことだった。
花見客はこぞって帰路に急ぎ、駅前やタクシー乗り場は人でごった返していた。
陽も傾きかけ始めた頃、互いの自宅の最寄り駅付近にて待ち合わせをし、
ウーバータクシーで横浜まで遊びに行った。
まだまだ肌寒い時期だった。
温浴施設で癒されたあと、午前零時を回る前にタクシーで帰途についた。
その帰り道、彼が急にこんなことを言い出した。
彼(低身長):
「麗子さん(仮名)、今日、エイプリルフールですよね?(この頃はまだ敬語だった)店の連中(出逢ったスナックのおねぇちゃん達)にウソつきません?」
私:「ほー、それは面白そうだね!どんなウソつくの?」
彼(チビ):「麗子さんと、結婚する、ってのはどうですかね?」
私:「え~?!出逢ったばかりで、あなた結婚してるし、そんなの誰も信じないよー」
と、まぁ、車内ではこんな感じのレベルでウソの話題は消えた。
そう彼は私と知り合った時、既婚者であった。
オマケでいうと、”バツ3”という、華々しいキャリア。これは珍しい。
彼いわく、二回目まではどれも短い結婚期間で、
いづれも愛情のある結婚は一度もないと。
彼も人の愛し方を知らず、「ひとり」が寂しいから、とりあえず戸籍に誰かいればいい、という歪んだ結婚観の持ち主であった。
どの結婚にも子供はおらず、一番、長い現在(その時の)の奥さんとも、子はもうけなかったそうな。その理由は、「濃い血の結果」を恐れたからだ、と。
なので、結婚の条件は「子供は作らない」だったそうだ。
ちなみに、この一番長い奥さんとも、愛情はなく、
ただ「戸籍が婚姻してるだけ」なのだそうだ。
その前の結婚が終わって、速攻で今の奥さんに電話をして、「今なら俺の籍、空いてるけど、どうする?」と聞いたそうな。(ちなみに声かけられた奥さんは、前の奥さんの知り合いらしい)
そして、この奥さんの回答もブッタマゲだった。
「ん~一日、考えさせて下さい」だってースっゲー(/・ω・)/
まぁいろんな人を見てきたけど、本当にどこまでも珍しかった。
私なんて、バツ1を死守して生きてきたし。
もちろん、長い独身生活の中では、こんな気の強い私を好いてくれる、
希少人物も何人かいた。
でも、再婚のための離婚ではなかったから、慎重に慎重をきたしてきた。
やはり、子供三人(適宜に大きい)とバァさん付きは、簡単ではない。
名乗り出てきてくれた人は簡単に考えていたようだが、
この大都会で生きていくのは、例え一人であっても大変だ。
家賃も物価も高い、学費も尋常じゃない。
食費だけでもバカにならない。
そんな、世知辛い「コンクリート・ジャングル大東京」で、息子たちの成長っぷりは容赦ない。
それが、最初から扶養家族五人なんて、よっぽどの財力が無ければ、
生活はいづれ破綻する。
やはり「生活とは金」だ。
「生活とは日常」だ。
愛だの、恋だの、だけでメシは食ってけない。
まぁ、わたしにはそんな哲学?があったせいか、彼の冗談など、
はなから興味は持たなかった。
そんなかんなで、道中は好物な仕事の話で盛り上がってた。
夜の高速はガラガラであっという間に、待ち合わせた場所に着いた。
そして帰宅して数分すると、例のスナックの仲のいい、
おねぇちゃんからメールが飛び込んできた。
スナックの(昔は)女子:「ねぇ、ちょっとー、私になんか言うことないの?隠していることあるんじゃない?(怒」
私:「??????」
そのあとも続々と、メールが飛び込んでくる。
私は何のことだかサッパリわからず、次々に飛び込んでくる
メールの対応に追われてた。
そうこうしてるうちに、ついに返信待ちにしびれを切らした、
おねぇちゃんから、電話がかかってきた。
スナックの(20年前は)女子:「ねぇ、あいつと結婚するって、本当?!」
私:「!!!!!!」あ~やられた~!(^^)!
彼は、「エイプリールフール時間内」に本当に爆弾を放ったのだ。
時計を見たら、午前零時をあと数分で迎えるところだった。
だから私は苦笑いで、「今日は何の日?」と言って黙った。
一瞬、無言になった彼女もようやく察したようで、大笑いしだした。
それにしても、彼にそんな茶目っけがあったなんて…、ちょっと意外だった。
その時の行動が、このあと起こる出来事の布石だったとは思いたくはないが、 実際のところ、どんな気持ちで、あんなことしたんだろ? (あとで聞いてみよ)
そんなかんなで、その三か月後くらいに突然、彼から電話が来た。
私はその間に海外に三週間ほど行っていた時期もあって、
彼とそんなに頻度良く会ってはいなかった。
その日も私は仕事を終え、地元に戻り一人、バーで飲んでいた。
いつもは業務終了と共に電源を落としてしまう携帯は、
知人の女性社長とのメールのやり取りで空いていた。
ほろ酔い気分で帰ろうとしたところに突如、知らない番号から着信が。
「ん?誰だろう?」と思いつつ、出てみたら彼だった。
「おー!どしたのぉ?」なんて軽く出たが、彼の声は今にも消え入りそうに、
か細、明らかに「へん」だった。
「麗子さん、最後に声が聴けてよかったぁ…」
「なんかあったの?」
「…今から、死のうと思って、最後に麗子さんの声、聴きたかったんです…」
「!!!!!!!!!!!!!!!」
…こんな電話もらったら、大抵の人はどう対応するんだ?????!!!!!!
この年にして私の頭はまたもや、大パニック!
私はひと息ついてから、「今、どこにいるの?」と尋ねた。
出先だ、と答えた彼。
「取り敢えず、うちに来なよ。場所は知ってるよね?」と、わたし。
あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!私は何を言ってるんだ?!
と、思いつつ平静を装いながら「死ぬのはいつでも死ねるからさ、
とりあえず、おいでよ。うち、しってるよね?」
なんて、カッコつけてしまったのだ~(*´Д`)
バカだ、バカだ、バカだぁ~!!!
でおm、だからと言って、「そうなんだぁ、じゃぁ頑張ってね!」なんてことも言えるわけない。
それが、彼とこれから深く関わっていくことになる「始まり」だった。
慌てて散らかり放題の部屋を掃除し始めて、ウロウロと落ち着かないわたし。
あ、そうだ!「歯ブラシだけ買っておいで」なんて、
こっちから電話までしちゃって…
「らしくない」わたし…であったと思う。
そして、三時間ほど経過したころ、ようやく彼が到着した。
その表情に”精気”は無く、目は虚ろに宙を舞っているようだった。
完全に疲れ切っている…いや、生命装置が切れているようだ。
そんな彼の姿を見て、もはや私からかけられる言葉は一つだけだった。
「今日はもうそのまま寝なよ」
黙って従う彼。
私はセミダブルベッドを譲り、一人ソファーに体を預けながら、
これから起こる未知の出来事に考えを巡らせていた。
遠くの空はすでに白み始めていた。きれいな朝焼けだった。
「行動する多くの者は運命を信じ、考える者は神を信じる」
この時の私は一体、どちらに重きをおいていたのだろう…
つづく…
■■わりと大切なお知らせ■■
虐待/貧困/父不倫/中卒/早婚/性病/離婚/倒産/癌宣告/精神疾患/起業/愛人生活…
などなどなど・・・(過去記事一覧よりご覧頂ける通り)
ノンフィクションな私の
破天荒な人生
を
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この物語は、私の人生を淡々と描いているものです。過度な期待はしないで下さい