「過去に向き合い、そして、いま」
「真のしあわせ」とは、いったい何なんだろう・・・?
家族がいること?
健康であること?
裕福なこと?
何にも囚われず、自由に生きられること?
あなたにとっての「しあわせ」とは一体、なんですか?
(決して宗教の勧誘じゃ、ありませんw)
54年と半年、生きてきた、私にとっての「真のしあわせ」は
「心の安住であること」に行き着いた。
「心の安住」・・・この言葉の意味するところの範囲は、私にとって、とてつもなく果てしなく広く、そして深い。
私なりの「経緯」がある。
無情ともいえるこの乾いた街、「コンクリートジャングル・東京」で、数えきれない物語によって「わたし」という人間は創り上げられたのだ。
その道のりは決して平坦なものでなく、辛く、厳しく、険しいことの連続であった。
今、生きているのが不思議なくらい。
死ねるなら死んでしまいたかった。
でも今、私が生きているのは、三人の息子たちを「生かす」ことだけを使命(任務)にしてきたからだろうな。(離婚の理由を美化させたいのもあったかなぁ・・?)
中学を卒業する前より社会に飛び込み、今では息子達も立派に・・・とは言えないが、真っすぐに育った。自立もし、可愛い四人の孫までいる。
いないのは亭主だけ(あんなの要らない)
全く頼りにできなかった両親も父はあの世の召され、母は健在だ。
姉妹関係もあまり良好とはいえないが、二人とも生きている。
25年前に離婚してより、私は「母親」であることを捨てた。
男の子三人。
思春期が訪れ、グレたら暴動が起きるw
だから私は「父親」に徹した。
働いて働いて、稼いで稼いで、鬼軍曹と化し、幼い息子たちは私を恐れながら成長していった。
何ひとつ、不自由ない暮らしもさせた。
旅行も、食べたいものも、なんでも与えた。
但し、お金だけは厳しく「小遣い制度」ではなく「給与制」にして、お金の怖さ、有難さ、稼ぐ難しさ、だけは徹底的に叩き込んだ。
男の子なんだから、将来、結婚しても「働く」以外、選択肢は持てないのだから。
おかげで今、彼らは全うに、懸命に働いて身の丈の生活を送っている。
恐れながらも彼らは、父親と化した「母親」をリスペクトし、その愛情の深さだけは理解していてくれたようだ。
「働かざる者、食うべからず」。
これが我が家の「家訓」であった。
(この辺の記述の詳細は、また後で・・・)
そして十数年前から「使命(任務)」を失った私は、その先のプラン「生き甲斐」を、何も考えていなかったことに気が付いた。
「あれ?私、誰のために生きてるんだっけ?」
「なんの為に稼がなくちゃいけないんだっけ?」
そんな私を待ち受けていたのは、酷い喪失感と壊れた体、そして幼少期より心に負った深い傷だけだった。
そんな自分であることを、忙しすぎて考えたことも無かった。
左手首には無数の自傷のキズ跡。でも、本気で死ぬ気なんか無い。
怖いから、じゃなく子供たちの気持ちを考えたらできなかっただけ。
母親が自殺した、なんて・・・子供たちは一生、疑問を抱きながら苦しむに違い無い、いや、絶対、苦しむ。
そうなったら、今まで一生懸命、育ててきたことが「無」になっちゃう。
(のちに「双極性障害」と診断が下される。)
(これもまた、のちに詳細に記述)
だから、死ななかった。彼らの存在に生かされた。
大嫌いだったこの街、東京の夜だけが唯一の時間潰しに役立った。
濃い酒を煽り、酔った勢いで、一晩だけの相手と肌を重ねる。
相手なんか誰でもいい。
名前も顔も誰一人として覚えていない。
コトが終われば、サッサと帰る。
わたし、眠れない・・・薬が無いと眠れない。眠るのが怖い。
(そう、重度の睡眠障害。)
一度に何種類もの薬を10粒近く飲む。
それでも耐性つきすぎて眠れない。
誰もいない部屋に帰りたくなかっただけ。
一人になって広く感じてしまうこの部屋が嫌いなの。
家族がいた時は、あんなに狭くてうっとうしかったのに・・
叱ってくれる人はいないし、こんな弱い母親の姿、流石に息子たちには見せられないし、言えない。
「ママ、寂しいの・・・」なんて・・・はずかしい。
彼らからしたら私は、勇ましき鬣(たてがみ)のある「オスライオン」。
でも、本当の私は「泣きムシ・メスライオン」なんだよ、なんて今更・・言えない、言えなかった。
強がりさんは実は弱さを隠してるだけ。
その「鎧」を脱ぎ捨てられてたら、どんなに楽だったか・・・
鎧を着たままで「母親を捨てた」鬼軍曹の私。
気づけば、女も超えていて、本気で誰かを愛せない人間になっていた。
(決して体の工事をしたわけじゃない、気が強くなり過ぎた、という意味ですW)
世界中で大切なのは「家族(息子と孫)」だけ。
オトコはみんな、私の事業に必要な役割か、財布代わり、のみ。
オトコに従うのも、媚びること絶対できない、相手が誰であれ!
(これは亡き父がド昭和人間で、軍事国家みたいな教育を強要されたことも、私の生き方に大きく影響していたと思う。そのくせ借金のカタに私を高利貸のじじい共に売り飛ばしやがった!江戸時代かよっ!!!怒Max←これが私のオトコ嫌いに火を点けた一番の要因!)
のちに明かすが、私は「男性拒否症」(勝手に命名)になっていた、と思う。
そして薬で眠り「無音」の部屋と折り合いをつけて、日々を虚しく過ごしていた。
そんな5年前のある日、一人のオトコと出逢ってしまった。
このオトコこそが私の乾いた心と体と、感情に火をつけることになったのだ。
あれ?「愛」ってこんなにも、いいもんなの?
あれ?「愛」ってこんなにも、相手の行動が気になるの?
あれ?「愛」って、こんなにも私を嫉妬深くさせるものなの?
「愛」って、こんなに執着心が強くなるものなの???(半分ストーカーじゃね?)
人生初の経験に、私の思考は大パニック!((+_+))
争いごとには百戦錬磨、修羅場をくぐり抜けてきたこの私にとって、
このオトコの持ち込んだ手土産なんぞ、大したことない、と思っていたはずが。
それが、厄介な出来事の始まりになるなんて・・・この時は想像だにしていなかった。
この私が・・・誰かを「愛してる」なんて本気で思ったことない私が、
いつの間にか、このオトコを本気で愛してしまっていたのだ。
事情があって別れて、最近(約一か月前)、再会→復縁できて、今は凄く幸せ感じてる。
ずっと忘れられなかった。
忘れようと、つまらない努力(マッチングアプリと、やっぱり酒)もしたけど、
つい、このオトコと比べてしまい結局、全てムダだったと痛感。
今はやっと、心の平安を取り戻せた感じ。
穏やかな毎日、何気ない会話・・・気づけば腕枕でグッスリ眠れてる自分。
(いつも寝る時とき流してた、ヒーリングのBGM、聞いてないし)
なんかウフフ・・・な自分も可愛い❤なんて思ってる(ちょっとキショイ)
こんな感情を抱ける自分がいることに驚いた。
今も隣で静かな寝息を立て、ぐっすり眠っている。
愛おしい寝顔。(エアコンの風、直撃で寒いのか、ミノムシみたいにブランケットにくるまってる。北国出身のくせにW)
別れていた一年半もの間、自分でも信じられないが誰とも、寝て(sex)なかった。
「あ~このまま、わたしは枯れていくんだなぁ・・・」なんて思ったりもしてた。
(女性ホルモンさん達はきっと、どこかへ行ってしまったわね・・とかね)
だから久しぶりのsexは、感慨深く、初めて「愛されてる」ことを感じられたものだった。
激しいキスで唇は塞がれたままの挿入。
突き上げられる快感と、久しぶりがゆえに子宮の入り口が痛む。
ちゃんと溢れ出てきてくれた私のからだ。
まだ、オンナ、終わってなかったんだぁ・・・良かった。
好きだった体位。
ちゃんと覚えていてくれたのだと、薄っすら感動。
徐々に激しくなる動きに腰の動きに合わせて、お互い一気に汗ばみ、
思わず口に手を当てて声を隠す。なんせここは集合住宅。しかも、真っ昼間。
これも快感を増す理由の一つ。
そして、彼は私の中で果てた。
二人で上がる息にお互い「年だねぇ」と笑いながら、近くにティッシュが無いことに気づき爆笑した。「毎回、学習してないね」と。
以前に戻れたと思うささいな戯言。
(なんと、ティッシュでは間に合わず、彼のおたまじゃくし君たちはバスタオルでの対応ななったw)
このオトコとは体の相性が抜群にいいのだ。
つづく・・・
■■わりと大切なお知らせ■■
虐待/貧困/父不倫/中卒/早婚/性病/離婚/倒産/癌宣告/精神疾患/起業/愛人生活…
などなどなど・・・(過去記事一覧よりご覧頂ける通り)
ノンフィクションな私の
破天荒な人生
を
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ブログで表現していた所
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(訳 : 深刻な内容だから、不謹慎じゃね?)
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私の経験が、誰かの人生の一助になれば が
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(・べ・・別に、強要はしていま・・すぇん)
が
この物語は、私の人生を淡々と描いているものです。過度な期待はしないで下さい