絶対的な守護神と言われた、大魔神。
彼が9回に出てくると、今日も負けだ…
と思わせられる程、凄い投手でした。
長嶋茂雄終身名誉監督は、
「横浜戦は7回までが勝負。」と謳っていた。
7回までに勝ち越さなければ、
当時の横浜の勝利の方程式と言われた
盛田→佐々木 に抑えられてしまうのだ。
佐々木の場合、球種は主に2つ。
ストレートとフォークである。
ほとんどの試合、この2つしか投げないのに
それなのに、打者が打てないのである。
これがどれだけすごいことだろうか?
150km/hを超え、制球力抜群のストレート、
ストレートと同じ軌道で落差の大きいフォーク。
これで日米で300セーブを上げるのだ。
横浜が優勝した前年の97年に
3勝38セーブ、防御率0.75と、驚異的な数字を残し
優勝まであと一歩というところまでいった。
その翌年、38年ぶりの優勝をしたときに
彼はMVPに輝いた。その年は1勝1敗44セーブ。
セーブ数は現在の日本記録である。
通産セーブ数も日本記録。
ほとんどの抑えの記録を持っていることから
彼は日本一のストッパーと称えられている。
そして8月9日、ここ数年は怪我に泣かされて来た彼が
ついに引退を決断し、最後のマウンドに上がった。
相手は、高校時代からのライバル・巨人の清原。
3球続けてストレートを投げ、
カウント2ストライク、1ボールと追い込んだ。
そのストレートは140km/hに満たなかった。
もう、往年の力はなくなっていた。
怪我の為、満足に練習も出来ず、この日の為に調整をした。
しかし、懇親の力で投げ込んだ。
打者の清原は、涙で目が真っ赤だった。
最後のボールは「このボールがあったから、プロで通用した」
と言った、フォークで空振り三振にとった。
しかし、ミットに入った場所は外角低め。
コントロールは落ちていたが、落差のある球は健在だった。
その時スタンドに、妻・榎本加奈子(24)がいた。
その横に、長男(13)がいた。
感動が微減した。
余談だけど、佐々木投手は
高校の頃から、長いイニングを投げられる投手ではなかった。
肩か肘に爆弾をあったらしい。
そこで、入団後は中継ぎや抑えを希望してたとか。
しかし、入団当時のプロ野球は
先発完投型であり、現在のような中継ぎや抑えの
分業システムなどなかった。
彼のようなスタイルがあったからこそ
現在の基盤を作ったといっても
おかしくはないだろうね。