卒業~皆さん今までありがとうございました~ | 仮面浪人失敗からの紆余曲折ブログ

仮面浪人失敗からの紆余曲折ブログ

予備校で一浪したのち、MARCH理工から仮面浪人で阪大薬学部を目指すも失敗。仮面浪人失敗によって背負ったツケを日々払いながら、一歩一歩卒業に向かってゆく

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先日卒業式がありまして、私は無事、何とか大学を卒業することができました。今まで励ましてくださった皆様には感謝してもし切れません。今まで本当に、ありがとうございました。

私にとってこの大学生活というものは、嫌な経験が積み重なるばかりで楽しいことが殆ど無かったものですから、ブログ上では不平不満の多い、薄暗い記事ばかりを投稿し続けてしまいました。通常であれば、こういった“不満多き記事”は非難の的となり、コメント欄等々が荒れたものになってもおかしくなかったのですが、私のブログではそのようなことがなく、寧ろ温かい言葉で以て励ましてくださる読者の方が多く、そういった点で、私は大変恵まれていたと感じています。大学生活のあまりのしんどさに耐えかねて、つい、陰鬱な記事を投稿してしまった際に、“いいね”やコメント、または一定のアクセス数の入っていたことが、どんなに私の心の支えになったか分かりません。本当に今まで、ありがとうございました。そして、結局のところ徹頭徹尾、このブログの記事が暗いものばかりになってしまい申し訳ありませんでした。

 

 

私がこのブログを始めたのは2013年の11月でしたが、この時私はまさに仮面浪人真っただ中で、志望校合格を目指し勉強に明け暮れる毎日でした。ブログ開設に至るちょっと前に、「仮面浪人結構しんどいな」と思っていた時期が私にもちょいとあったのですが、そんな中「ペンギンと仮面浪人」というケイさんのブログを初めとする先人達の仮面浪人成功記を読むにつれて、私は非常に勇気づけられたことを未だ鮮明に覚えています。それと同時に、私の当時抱えていた辛さが幾分払拭され、心が大変励まされたことに気が付きまして、その時、「私も将来の仮面浪人生に勇気を与えられるようなものを残したい」とか、「予備校浪人失敗から仮面浪人成功させた体験談が見当たらないから、その前例を後世に提示したい」といった魂胆が自身の内から湧き上がってきたのがきっかけとなって、本ブログ(旧「MARCH理工で仮面浪人ブログ」)が誕生したわけでありました。


2013年のブログ開設当初、私がブログを通じて後世に伝えたかったのは、

「たとえ多くの人から『無理だ』と言われようが、自分の理想を追うことを諦めないでほしい。苦しいことを耐え、粘り続けたその先には明るい未来が待っていて、『あの時諦めないでよかった』と思える日がきっと来るから頑張って!」

というものでした。そのメッセージを、本ブログから受け取ってもらえるような記事をドンドン投稿していくつもりでした。

 

 



 

が、

 



 

 

あれから五年(CV 綾小路公麿)。私は、人様に希望を与えられるような体験とは全く真逆の、散々な、凄惨たる体験ばかりを積み重ねてしまいました。大学受験には無残にも敗北し、その後に残った大学生活では勉強面で周囲に全く着いて行けず、自暴自棄にもなって意図的に自身を痛めつけるような思考回路を構築し精神的にもおかしくなり、病院通いからの低動作性IQの発覚、うつ状態(“病”にまではならなかった)からの休学、気力の低下、就活の苦戦、結構キツかった研究生活。あまりの悲惨さから、私はブログ開設当初の目的を全く忘却し、救いようのない鬱記事ばかりを投稿するようになっていました。そしてそのことを自身で承知していながら、暗い記事の量産を止められない、といった有様でした。

 

ただ、私も単に「愚痴をこぼす」こと一点に照準を当てて記事を投稿したわけではなく、自身が苦難の渦中にあるからこそ書けるであろう内容を包含した記事もちょくちょくと投稿するようにはしていました。そんな試みの中、私はこの悲惨な五年間を通じまして、皆さんにお伝えしたいことというものがブログ開設当時とは180°変わりました。その骨子が

「自身の頭に描く理想を叶えるために、夢を追うことは良いことである。しかし、追いかけても追いかけても己が不幸になるばかりの夢であるならば、それは貴方の‟真の理想”とするものではない可能性が高い。そういった夢は手放す勇気が必要だ」

というものでありまして、ここから派生したメッセージが以前の記事に書いたような、

「まずいと思ったら逃げることも大事」

だとか

「実力のない者は(精神的に)強く生きなければならない

または

「先天的に背負ったハンディッキャップは“努力”だけではどうにもならないこともある」

そして

「たとえ(仮面浪人が)失敗に終わったとしても、それが自身の経験値となり将来に活きるならば、(仮面浪人をしていた事実が)全くの無駄になることはないから、出来るだけ失敗を引きずる期間を短くしてほしい」

といった言葉となって表れています。

 

恐らく、上述した骨子に基づくこういったメッセージの数々は、決して一般ウケのいいものではないと思っています。「夢を諦めるな!」だとか、「凄まじい努力(ないし気合)で以て様々な困難を乗り越えた!」といった、もっと勢いのある言葉や体験談の方がよっぽど、多くの人々の心を打ち、勇気づけ、且つは親しまれ、美談となり喝采を浴びることになるものになるのだと思います。しかし、今現在の私の意見としては、こういった勢いのあるメッセージというものは、確かに耳触りが良いため多くの人々を瞬間的には勇気づけるだろうけれど、その実は人々に「アドレナリン的な、一時的な興奮を与える」に留まるもので、その人自身の持っている悩みの“真の”解決にはなりにくいし、または長期的に見ると、事態の好転しない人に寧ろ「それに比べて自分は…」といった劣等感、卑屈精神を呼び覚まさせ、ますます悩みを深くしてしまう可能性のあるものだと考えています。従って、(ちょっと記事が欝々とし過ぎていますが)これまでのいくつかの記事で以て、自身の実体験と、現実主義的な考えに則した意見ないし事実そのものを、美談とは遠く離れた文章構成で、ポツポツと本ブログ上に書き残せたのは全く悪いこと、全く無駄なことでもなかったのかなと自分自身思っていて、特に厳しい環境にあって心に余裕のない状態にある方が読んだ際に、「ああ、世の中綺麗な人間ばかりでなく、こういう人間もいるんだな。この人に比べれば自分も捨てたもんじゃないだろうし、ほどほどに頑張ってみようかな」と思っていただける可能性のあるブログになったのではないかと考えています。

 

 

以下は自惚れですが、このブログは個人的に、自身の人生を振り返る上で相当凄いものになっていると思っています。というのも、仮面浪人遂行から失敗に至り、その後低動作性IQゆえの様々な困難に見舞われ、最後はまあ色々と頑張って研究生活を乗り切るといった、一連のプロセスやその時々の所感というものが、「過去の回想」という形ではなく「リアルタイム」で綴られている点が貴重であると考えているからです。もし、私と似たような境遇にいて苦しまれている方、または「一時のアドレナリン的な気分の高揚」だけでは事態の収束を図れそうにない方が、このブログに触れることでご自身の今後の人生、ないし生き方における何らかのヒントを得ていただけたのなら、私は心より嬉しく思います。

 

 

最後に。

19日まで研究室に通って、そこから最近までずっと引っ越し等々の就職準備をしていたので毎日が非常に気忙しく、「大学から離れられる」事実に対する感慨に浸っている暇がありませんでした。もしも最終登校日から少しでも感慨に浸るための猶予期間があったのなら、私は人生最大の達成感を得られていたと思います。

今になって少しだけ暇ができましたゆえ、その大きな感慨、達成感に浸ろうと試みましたが、どうやら時期(good timing)を逃してしまったようで、どうしたって大した感動は得られず、それゆえ妙にシラけてしまう有様で、現在は割とアッサリした気持ちでいます。寧ろ、社会人になることへの大きな不安に押し潰されそうなくらいです。勿体ない。非常に悔しく思っています。が、もうすぐに社会人生活が始まりますので、気持ちをそちらの方に切り替えて、頑張っていかなければならないなと考えています。




 

いやー本当に勿体ない。

 

 

 

 

 

 

 





 

 

それではこれが本当の最後になりますが、改めて。


今まで応援してくださった皆様、本当に、本当にありがとうございました。皆様のくださったご恩は、一生忘れません。

 

 

 












 

 

それでは