(74) 籠神社はスサノオの神社である[3]

前の記事"(73) 籠神社はスサノオの神社である[2]"において
"籠神社に祀られていたスサノオが雄略天皇22年にどこか別の場所に遷され、
天長2年に浦嶋神社に浦島太郎として戻ってきた。"
とスサノオはどこか別の場所に遷されたと書きましたが
そこはどこなのでしょうか?

雄略天皇22年は豊受大神が豊受太神宮(外宮)に祀られた年でもあるので
スサノオも伊勢神宮に遷されたと考えるのが自然だと思います。

現在、伊勢神宮にはスサノオは祀られていないとされていますが、
スサノオが祀られていた場所はあるのでしょうか?

私はスサノオが祀られていた候補として
『倭姫命世記』に出てくる多賀宮と粟皇子神社の2つを考えています。

 ■倭姫命世記 [神話の森]
 (前略)
 また皇太神の第一摂神、荒魂多賀宮をば、豊受太神宮に副従ひ奉り給ふ者也。
 また勅宣に依り、大佐々命を以ちて二所太神宮大神主職に兼行ひ仕奉らしむ。
 また丹波道主命の子、始めて物忌を奉り、御飯を炊満て供進る、御炊物忌、

 是なり。
 また須佐乃乎命御玉、道主貴社を定む、粟御子神社に座すは是なり。
 また大若子命社を定む。大間社是なり、宇多大采祢奈命祖父・天見通命の社を

 定む、田辺氏神社是なり。
 惣に此の御宇に、摂社四十四前を崇祭る。
 (後略)


粟皇子神社は内宮の摂社で、その祭神は須佐乃乎命御玉道主命です。
『式内社調査報告』では須佐乃乎命と御玉道主命の2神としているようです。

『式内社調査報告』が正しいとすると、
粟皇子神社はまさにスサノオを祀っていることになります。

祭神が須佐乃乎命御玉道主命の1神だとすると
それは丹波道主命のことだと考えるのが自然です。

上の引用した『倭姫命世記』の文章にも"丹波道主命の子"が出てきますし、
"(73) 籠神社はスサノオの神社である[2]"で引用した『倭姫命世記』にあるように
丹波で豊受大神を祀っていたのは丹波道主命の子である八乎止女(やおとめ)でした。
さらに、雄略天皇22年に豊受大神を丹波国与謝郡(現・京都市宮津市)まで

迎えにいった多くの神々の中にも丹波道主の子孫がいました。

須佐乃乎命御玉道主命は名前からしてスサノオと関係の深い人物であることは

間違いないところです。
御玉が御魂を表しているとすると、スサノオの御魂を受け継いでいると

解釈できます。
つまり丹波道主はスサノオの子孫であるのではないでしょうか?

 ■粟皇子神社 - Wikipedia
 粟皇子神社(あわみこじんじゃ)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社。
 内宮の摂社27社のうち第19位である。

 景勝地・池の浦に臨む岬に鎮座し、祭神は海岸の守護神とされる。 

 概要

 三重県伊勢市二見町松下字鳥取(とりとり)1687-2に鎮座する。
 池の浦海水浴場に近接し、伊勢神宮を構成する125社のうち最も海岸に

 近い地にある。 社地の面積は4畝7歩(≒419.8m2)。

 祭神は須佐乃乎命御玉道主命(すさのおのみことのみたまのみちぬしのみこと)。
 天照大御神と須佐乃乎命(すさのおのみこと)とのうけいによって誕生した

 女神で、海岸鎮守の神である。
 別名を淡海子神(あわみこのかみ)と称する。
 その女神とは記紀によれば本来、宗像三女神の事であるが、諸説ある。 

 ■粟皇子神社 [玄松子の記憶]
 式内社 伊勢國度會郡 粟皇子神社
 皇大神宮摂社
 所在地: 三重県伊勢市二見町松下字鳥取1687-2 
 祭神:   須佐乃乎命御玉道主命(すさのおのみことのみたまのみちぬしのみこと)
 
 垂仁天皇二十六年、
 倭姫命が天照大神を五十鈴宮に鎮祭された後に創祀したと伝えられ。
 式内社・粟皇子神社と伝承されたいる古社。

 『倭姫命世記』には当社の祭神に関する記述が2箇所。
 倭姫命が伊介浦御巡幸の際に奉迎・奉饗した「淡海子神」。
 雄略天皇の御世に定められた「須佐乃乎命御玉道主命」。 

 ■粟皇子神社 [延喜式神社の調査]
 所在地: 三重県度会郡二見町大字松下字鳥取1687-2
 祭神: 淡海子神
    『式内社調査報告』須佐乃乎命・御玉道主命

粟皇子神社のある二見町は蘇民将来の伝承で有名なところです。
三重県の公式サイトにも紹介されています。

 ■二見町◆蘇民将来 [三重県公式サイト]

 伊勢周辺の家々では、「蘇民将来子孫家門」と書かれた木札を付けた注連縄を

 見かけます。
 この風習は、心やさしい蘇民将来のお話からはじまったものだと言われています。 

一般的に蘇民将来は牛頭天王と同一と考えらており、
さらに牛頭天王はスサノオと同一と考えれています。

二見町における蘇民将来の伝承の中心は同町にある松下社のようで

その祭神はスサノオです。

 ■松下社 | 公益社団法人 伊勢市観光協会
 御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)のほか、
 菅原道真と不詳一座を合わせて三座です。
 創立年は詳しくわかっておりませんが、
 一説には平安中期の阿倍清明が神様をお招きしてお祀りされたところとも

 伝えられています。
 また、この地には厄除けの「蘇民将来の神話」が言い伝えられています。
 貧しい身なりの須佐之男命がこの地方を旅し一夜の宿を求めたところ、
 蘇民将来が快くもてなし、
 その蘇民将来の子孫の家は疫病から免れたという神話です。
 そのためこの地方では「蘇民将来子孫家門」の木札のついたしめ縄を
 1年中玄関に飾る風習があります。
 三重県の天然記念物に指定されている、樹齢2000年以上の大楠も有名です。

 住所: 三重県伊勢市二見町松下1346

 ■松下社(まつしたのやしろ)  [玄松子の記憶]
 式内社 伊勢國度會郡 神前神社
 所在地: 三重県伊勢市二見町松下1346
 祭神:  素盞鳴尊 菅原道真 不詳一座

 ■松下社  [延喜式神社の調査]
 所在地: 三重県伊勢市二見町松下1346
 祭神: 素盞嗚命 菅原道眞 祭神不詳

 神前神社に比定する説がある。
 御巫清直は「松下村ノ産神ニテ天王或ハ蘇民祠ナト俗称スル社旧風アリ。
 本記幸行ノ順次ニヨク協へレハ是本社ノ旧地ナラム」と述ベ、
 現在の松下神社をそれとする。
 松下神社の入口には「コウザキサン」が祀られているとの土地の伝えがある。
 本殿向かって、左手に「蘇民祠」が鎮座する。

 社頭掲示板
 松下地区の氏神様です。加木牛頭天王社・御船社・蘇民の森ともいわれています。


私がスサノオが祀られていたのではないかと考えている
もう一つの多賀宮については次の記事で書くことにしたいと思います。