おはようございます。今野華都子です。
今日は博多古事記塾でした。
ご参加ありがとうございました。
ここに来ると自分が悩んでいた答えが明確になるという。
それは理想を持って生きているから現実との考えギャップをどう自分の理想に近づけていくかハッキリし胸踊らせているからです。
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私は最近苦手と思ってる事にに挑戦して、こうあらねばならない頑(かたく)なな心が、柔和になって来たようにおもいます。
音痴な私が3年半歌を練習して何が弱点かを自分が気づいて、それにあった練習をする事によって少しづつ改善してきました。
その時の気づきはこちらから
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それからも改善は続きました。
客観的に見て判断できる人(ゆう子先生、友人の絶対音感を持っている人)に聞いてもらうことによってどの部分が違っているのかを確認してそれを補う基礎運動をしてみた。
スポーツで言う筋力トレや基礎体力をつける事などに等しい。具体的にいえば呼吸を意識する、歌の腹筋を動かす、口の開け方、顔の筋肉を動かす。
楽器を使ってドレミファ、、の音階を正しく歌ってみる。
など自分がやってこなかったから急に出来ない事を意識して少しづつやってみたのです。
私にとって、音痴はは恥ずかしい、だから歌わないと何が歌えない原因かを考えないで、歌うことを拒否して来ました。
原因の幾つかを分かったとしても、すぐに出来るわけではない。
恥ずかしいなどはどうでも良くて、現実を知り改善のため師について教えてもらうことを選択した。教えてもらったことを反復練習するのは自分です。
そして克服するための基礎運動が出来てくると、何となく全体が良くなってくるりある日、それまで出来なかったことのコツが掴める。
例えれば、それまで出来なかった自転車に一人で乗れるようになつたり、逆上がりが出来る瞬間が来るようなものです。
私達が小さい時自転車で転ぶことなしに自転車に乗れた人はいません。その後補助輪の付いたものが出来て練習の時痛い思いをすることが少なくなってきました。要するに転ばなくなってしまったのです。転んで学ぶ機会を失ってしまったのです。
子供の頃に遊びのなかで失敗する体験を沢山させてもらう事は素晴らしい事です。親は見守りつつ手を出さない我慢が必要でした。この失敗は成長の時必ずついて来ます。
私は自分の得意なことばかりやってきてしまったので、失敗をあまり経験しないできてしまいました。
要するに出来ること褒められることしかやってこなかったのです。
自分が得意なことは、なぜ出来るのか理由がわからないのです。
でも不得意なことを何回も失敗して、はじめて自分のなかの原因が分かり、自分にあった努力をします。それは自分の分析の上で立てた目標なので、闇雲の努力ではないので失敗してもまた考え、地味な筋トレの努力も続くのです。
それが仕事であってもおなじです。
出来る人が、違う能力の人を雇って自分の教え方で教えて、何で出来ないのかとあれこれ言ってもなかなか改善になりません。
その人が本当にそれをやりたいのか
それが出来るようになるには自分に何が
欠けているのか?
そのために自分の持っている能力では何をすれば良いのかを自分が気づく方向に導くことです。
私ならいまから絶対音感をつけるのは無理だとしても、楽器の音を頼りにして何度も同じ音を確認しながら声を出す。それを繰り返す。誰かに確認してもらう。これを失敗や恥ずかしいと思わないことです。
私達はこの宇宙で何度でも失敗をして、それを経験としてここまで進んで来たのです。
大人も子供も誰にでも、「何度でも失敗する権利があります」失敗したら反省して立ち上がり進めばいいだけです。
人には失敗する権利がある。だがしかし、それには反省と言う義務が付く。
日本を代表する経営者の一人、本田宗一郎さんの言葉。
彼は他にも数多くの仕事に関する言葉を残しており、そこに通底している本田の精神は『停滞することを恐れる』ということである。
数々の栄光を掴み、偉業を成し遂げたHONDAの舞台裏は、失敗と反省の繰り返しだったのだ。
失敗を恐れず、反省を次に生かすという地道な作業の繰り返しが、成功に繋がる唯一の道なのかもしれない。
今日も自分立ち上がり、失敗を経験としていい日にしていきます。
今日は姫路古事記塾、と大阪古事記塾です。
どうぞ宜しくお願いいたします。