母は創価学会の狂信者でした。
池田大作を信じていました。
松戸にいた時は酷かったですね。
家のことを放り出して学会活動に奔走していました。
折伏もしていました。
選挙もやっていましたし、新聞配達もしていました。
朝早く起きて、学会幹部のお宅に聖教新聞を取りに行くのです。
そして、配ってました。
自転車に乗って。
私は母についていった事があります。
母が新聞を取り出し、私がポストにINしていたのです。
そんな思い出もありました。
母は選挙にも力を入れていました。
学校で保護者の集まりがあれば欠かさず行っていました。
学校で手芸教室があり、それにもなぜか参加。
作る楽しみというより、目的はやはり選挙の人脈づくりでした。
馬鹿だねぇ。選挙の人脈づくりって。商売の人脈づくりならまだわかりますが。
母は選挙に功徳があると信じて疑いませんでした。
そして、自分の実家の方でも活動。
2番目に住んでいたところに行き、そこの学会員さんに車を借りて同級生宅の訪問をしていたのです。
そこまで必死でした。
合唱団にも入っていて、千葉県の合唱団に入っていました。
松戸から稲毛まで通っていたのです。
ラジカセ持って。
母はメゾソプラノでした。
なぜ、メゾソプラノかと問えば、「唱題一生懸命しているから、声が低い」だそう。
母はいつも祈っていました。
ある日は御本尊様が光ったとまで言っていたっけ?
こちらに引っ越してきてからは活動あまりしなくなりました。
そして……。
日顕上人の退座要求書に署名。
文字もろくに書けない妹の名義も「使っちゃえ!」でした。
酷いですね。
母はお題目帳をつけていました。
本当に熱心でした。
破門前は毎月御登山していました。
お正月は大石寺の元旦勤行会に参加していました。
破門後は毎月学会本部に行き、池田大作に手紙を書いていました。
ちなみに、池田大作への手紙って池田大作は読んでくれているのでしょうか?
純粋な嘘つき婦人部員は「読んで下さるよ」と言っていましたが。
私は手紙に創価高校へ行きたい旨を書いていました。
先生が創立した学校に行きたい! と。
母はその後、精神科病院の入退院を繰り返していました。
そして、退院したばかりの日。
とうとう服薬自殺をしてしまいました。
家にあったのはまだまだニセモノでは無い御本尊です。
日達上人の御本尊でした。
母は母の従伯母の1人から折伏を受けました。
母は私が生まれるまで、信心していた事を父に隠していたみたいです。
今日は母の命日です。
創価学会は間違っています。