北条早雲の生年に対して疑問の声を投げかける学者も出て来
ていたそうですが、今は結局従来説で落ち着きそうです。
つまり、国盗りに着手したのが60歳で、68歳で小田原城
を手に入れ、88歳まで戦で負けたことがなく、領主として
も善政を続けて領民たちに慕われたという、超大器晩成型の
大将という見解で間違いないようです。
そんな早雲は、白髪ではあったものの目も耳も頭も歯もしっ
かりしていて、健康で溌剌としていたということです。
それだけに、領民たちにも健康の大切さを説き、考慮した政
策を取りました。ユニークなところでは、梅干しの生産です。
梅を生産させ、梅干しの醸造を進めました。
産業による振興と同時に、領民たちに対しても「梅干しは健
康に良いので、大いに食べなさい」という政策です。
さらに、読書を領民たちに勧めました。若者にとっては、教
養を深めるため。そして高齢者に対しては、ボケ防止策とし
て「読書は最適」と考えたそうです。
さらには、「文字や言葉というのは、使い慣れていないと忘
れてしまい、それによって脳を退化させてしまう」というこ
とで、手紙を書くことも、奨励したということです。また、
「歌道をたしなむことで、心が豊かになる」として、歌道も
老若男女、職業の区別なく、勧めたそうです。