室町後期に一度は廃れた鎌倉を再び「観光地」として発展させたのは徳川光圀でした! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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鎌倉といえば幕府がかつて存在して政治の中心地且つ発信地

だったくらいだから、主要都市の1つです。しかし室町時代

後期に鎌倉公方が機能しなくなってからしばらくは、寒村と

なっていたそうです。

 

そんな鎌倉が再び脚光を浴びるのが、江戸時代前期です。そ

のきっかけをつくったのは、あの水戸黄門こと徳川光圀でし

た。

 

旅嫌いで有名な徳川光圀ですが、あえて鎌倉や江の島を訪れ

て、それを基に『新編鎌倉志』という書物にまとめました。

240ヵ所以上の名所や景勝地を紹介していて、いわば旅行

ガイドのようなものです。

 

この書物が広く読まれ、それをきっかけに江戸中期以降は鎌

倉に数多くの観光客が訪れるようになったそうです。

 

鎌倉は本格的に武家政権が発祥した場所ですが、徳川光圀が

鎌倉に魅かれた理由はそれだけではありません。光圀の祖父

徳川家康は河内源氏である新田義貞の末裔を自称し、源頼朝

を尊敬していたと伝えられます。その家康の思いが、孫の光

圀に伝わったのでしょう。

 

農業と漁業のみが廃れずに栄え続けていましたが、水戸光圀

の書物を通しての紹介によって鎌倉は観光地として、再び発

展したのでした。