古代より、山伏には呪術と共に易占術にも優れた者が多かっ
たようです。それ故、戦国時代までは常に優遇されていまし
たし、忍者や軍師となって活躍した者も数多くいました。
しかし江戸時代になって呪術の需要が少なくなると、易占の
世界も大きく変わって行ったようです。身分の高い者たちが
そうしたものを信じなくなった分、易占は庶民のものとして
変化して行きました。
また庶民が相手だと診断が外れても罰を受けることがあまり
ないので、易占師の腕も落ちて行ったようです。
山伏にも、そうした技術を持たない者が、増えました。そん
な山伏を茶化した小噺があります。『当流軽口機嫌袋』にあ
るものです。
伊勢参りの山伏が分かれ道でどちらに行こうか迷っている時
に、農民が通りかかりました。山伏が呼び止め、
「こりゃこりゃ百姓、伊勢道はどっちだ?」
と訊ねます。
農民はその山伏の横柄な態度にむかつき、
「山伏なら、自分の商売道具で占ってみろ」
と言い返します。
山伏は懐から筮竹を取り出してむずかしい顔でそれを眺めた
後、
「うむ。占ってみたら、百姓に訊ねてみろという鑑定が出た」
と語ったというオチです。