「川中島合戦」の動機を見れば上杉謙信が「義」の武将と言われる理由がわかります! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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戦国時代を代表する合戦の1つに間違いなく挙げられるのが、

「川中島合戦」でしょう。その大きな理由が、武田信玄と上杉

謙信という、猛烈に魅力のある名将同士の戦いだったことにあ

ると思います。

 

この「川中島合戦」は、とてもユニークでもあります。そして

合戦に踏み切った動機が、2人は全く異なっているのも、興味

深いです。

 

元々川中島は、北信濃の千曲川と犀川に挟まれた要塞の地でし

て、信玄の領地でも謙信の領地でもありませんでした。

 

また信濃国というのは、当時特定の有力大名が支配しているの

でなく、複数の豪族が分有するという、曖昧な状況にありまし

た。

 

そこに目を付けたのが武田信玄で、信濃侵略を目指して出陣し

たのです。相手がまとまりのない複数豪族であれば、攻略して

信濃を領地にするのは簡単だと思ったのでしょう。

 

しかしここを分有していた豪族たちも、簡単に攻略されるわけ

には行きません。村上義清や小笠原長時といった豪族たちが、

上杉謙信に助けを求めたのです。

 

上杉謙信はその要請を受けたのですが、出陣前に、言ったそう

です。

「信玄がのちの勝ちを大切にするのは、国を多く取りたいとい

う気持ちがあるからだ。私には国を取る考えがなく、のりの勝

ちを考えない」

 

ここでいう「のちの勝ち」というのは、勝つことによる利益の

ことかと思います。上杉謙信は、利益で戦をするわけではない

ということ。この時も、村上義清らの言い分が正しいと思った

からで、上杉謙信が「義」を重んじる名将だったというのが、

わかります。