昔の京都には美しい巨大池がありました! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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794年に桓武天皇が「平安遷都」を決行しましたが、その

際に都の場所を「風水」によって決めたそうです。

 

京都は東、西、北の三方を山に囲まれていますが、風水の考

えだとこの場合、南は海や川など「水」に関係したものが必

要になって来ます。しかし今の京都には、それがありません。

 

実は京都には、古代より長きに渡って、大きな池が南側にあ

ったのです。名前を「巨椋池(おぐらいけ)」といいます。

 

この巨椋池は、木津川と桂川、宇治川が淀川に合流する狭窄

地点に位置していて、それらの川の水が流出し切らなかった

ために大きくなったそうです。

 

その大きさですが、周囲が約16キロメートル。面積は約8

00ヘクタールに及ぶので、池というより「湖」でした。ま

あ琵琶湖も厳密に言うと「池」に分類されてしまうので基準

が何とも言えないのですが、巨椋池も似た感じといって良い

でしょう。

 

周囲は湿地帯ですが都造営に当たって干拓され、平安時代以

降は風光明媚な景勝地となったそうです。

 

平安貴族たちはこの池というか湖を望む伏見丘陵に別荘を建

てて詩歌や管弦にふけり、武家の時代になってからは遊水池

としての役割を果たしていました。

 

しかしこの巨椋池は、昭和初期に始まった国の干拓事業によ

って埋め立てられ、しばらくは農地だったものの第二次世界

大戦後の新たな干拓事業で住宅地になってしまいました。寂

しいものです。