岡山藩2代目藩主となった池田綱政は、まず「後楽園」を造営
したことで知られます。この岡山後楽園は日本三大名園の1つ
で、世界歴史文化遺産にもなっています。
芸術家として優れていただけでなく、政治家としても優秀でした。
彼が父から藩を受け継いだ時、岡山藩は財政難だったそうです。
早速財政再建に取り掛かり、新田開発を積極的に行ないました。
児島湾の大がかりな干拓、百瀬川や倉安川の治水工事も行ない、
それによって収穫量を大幅に増やして、藩の財政は再建されまし
た。後楽園の造営は、財政再建後のことです。
そんな風に仕事面では優秀で功績も多いのですが、普段は悪評
が高かったようです。理由は、超ウルトラ級の女狂いです。
昼夜関係なく女性に手を出しまくり、そのため子供の数が増え続
けました。全部で70人の子供をつくってしまったということなので、
徳川家斉顔負けです。
次々と生まれる子供は、乳母をつけて家臣に押し付けました。家
臣が「恐れ多い」と辞退しても、「どんなに粗末に育てても良いから」
と言って強引に押し付けたそうです。かなりヤバいというか、今なら
「セックス依存症」と診断されるかもしれません。ただ仕事は、出来
たのです。
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