鎌倉幕府軍がモンゴル軍に勝利した戦いを「神風」と後世の政府が教え込んだ理由 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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鎌倉時代に起きたモンゴル(元・蒙古)軍の襲来、一般に「元

寇」と呼ばれていますが、幕府が繰り出した軍はこれに勝利

しています。

 

その原因を政府は長らく「神風による勝利」と、教え込んでき

たようです。

 

実際に台風が海上にいた蒙古軍を壊滅させたことは確かで

すが、これは「台風の上陸」を読んで蒙古軍の上陸を阻み、

海上にしばらく停泊させた幕府軍の気象学作戦の勝利でも

ありました。

 

そしてもう1つ大きな原因は、蒙古軍のモチベーションの低さ

でもあったようです。いやいや参加している兵士が多く、数の

割には弱体化した戦力でもあったのです。

 

対して日本軍は、戦いに参加している九州の御家人たちはこ

の戦いで働きが認められれば報償に恵まれると信じていたし、

幕府も朝廷も彼らが戦っている間、日本全国で勝利を祈る加

持祈祷を行なわせていました。

 

この「加持祈祷」が、後々の明治以降の政府が「神風」と煽っ

て軍国主義を促進する材料となったのです。

 

「神風」という言葉は本来、伊勢にかかる枕詞でした。従って

当時の鎌倉幕府を中心とした日本社会はこの戦いで起きた

台風を「神風」などと称していません。

 

本当に「神風」が吹いたのなら、勝利後の日本に幸福をもたら

すはずでした。しかし現実は、逆だったようです。この戦いは侵

略戦争でなく防衛でしたから、敵の土地を奪ったわけではあり

ません。なので、活躍した武将に与える土地がなかったのです。

 

さらに、戦いによる出費も大いにかさみ、幕府は経済失調に陥

りました。従って、報奨金を与えようにもその金がなかったので

す。御家人たちの不満がエスカレートし、社会は悪化して行きま

した。その辺の現実を、明治以降の政府は一切触れなかったよ

うですね。