幕末から明治にかけて起きていた「熱風呂VS冷浴」論争 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

ブログの説明を入力します。

江戸時代、熱い風呂に入るのが江戸っ子の矜持のようなバカ

げた習慣が、はびこっていました。

 

ペリー来航以来欧米人が日本に数多く来るようになって、この

習慣に当然ながら異議を唱える外人が続出します。それは当

然なのですが、こちらもまた問題がありました。

 

ほど良い温度の風呂に入れというならわかりますが、そうでは

なく、「冷浴」、つまり冷たい水に入れというわけです。

 

明治に入ると欧米人からの「冷浴の勧め」はエスカレートし、明

治5年にはオランダの医師スロイスが政府と新聞に意見書を提

出しています。

 

「冷たい水に入るのは皮膚の汚れを取り去り、体の生長を促進

し、健康長寿を保つ。冷浴を習慣とする民族は骨格も丈夫で、

体力も強大である。これに対して、温かい湯に入る人々は体も弱

く、力のない場合が多い・・」

などというのが、その内容でした。

 

この意見書は長いのですが、その中には「温浴のせいで貧血や

気管感冒、はては危篤に陥った者もいる」などとも書いてあり、か

なり偏った見解に満ちています。

 

貧血や気管感冒は恐らくぬるい湯に長時間浸かり過ぎてのぼせ

たり、出た後の温度差による湯冷めで風邪をひいたかだと考えら

れます。当然ぬるい湯で気持ち良くなれば出るのがつらくて、入り

過ぎるのはよくあること。それによって心臓麻痺というのは、たまに

あります。

 

従ってスロイスの言う「温かい湯がいけない」というのは、入り方に

問題があったわけです。冷浴も、元々が頑丈な人にはそれなりの

効果はあるはずですが、弊害も多々あるし、むしろ気管感冒にな

りやすいのはこっちの方かと思います。

 

ただ「熱い風呂」が良くないことも確かで、適正温度があります。そ

れを主張したのが福沢諭吉でして、「適正温度の銭湯」を彼は経営

していました。しかしその適正さが当時は「中途半端」と見なされた

ようで、流行ることなく短期で潰れてしまったそうです。何とも嘆かわ

しいですね。

 

今の銭湯には水風呂もあって、温かい湯と交互に入ることが出来る

ようになっていますね。