12月2日の翌日が1月1日になったことが過去に1度だけありました! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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1872(明治5)年には、後世に最も多大な影響を与える

出来事がありました。それは、暦の変更です。

 

この年まで日本は、月の動きを基にした暦が使われてい

たのです。これを「太陰暦」と呼んでおりまして、いわゆる

「旧暦」です。

 

しかしそれが、太陽と地球の動き方を基にした「太陽暦」

に変えられました。世界がこの暦を使っていたのでいず

れ変える必要があったのですが。1872年に断行された

のです。

 

それがこの1872(明治5)年は、12月2日に断行された

ため、翌日が12月3日ではなく新暦の1月1日になったの

でした。

 

ただ1年の行事というかしきたりが旧暦から移動されてい

ないという不備が続いておりますので、おかしなことが多く

あります。

 

たとえば、毎年私は訴えているのですが、8月を残暑とい

うのが大きな間違いです。これ、旧暦のままなのです。な

ので、残暑の対象となる8月は、実は新暦ではほぼ9月な

のです。

 

そして理不尽なのは、七夕です。天の川を挟んで浮かぶ

織姫を彦星が1年に1度会えるのが七夕なのですが、こ

れには「雨が降らなければ」という条件がつくのです。

 

そして旧暦における7月7日というのは今の8月初頭にな

るので、「梅雨が間違いなく明けているであろう」という時期

になり、雨が少ないために選ばれた日です。それが、七夕

なのです。

 

しかし新暦になっても七夕は、7月7日。この日はまだ、梅

雨が明けている可能性が極めて低く、七夕にはそぐわない

のです。織姫と彦星が会える可能性を少なくしている、何と

も野暮な措置ですね。