大リーグ草創期に2塁から1塁に盗塁して認められた選手がいました! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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1910年、草創期の大リーグでの話です。盗塁の記録がかかっ

ている選手がいました。

 

その選手は1塁から2塁への盗塁に成功させます。その後3塁

への盗塁をしたかったのですが、3塁には味方のランナーがい

たため、出来ません。

 

するとその選手は、何をしたか?何と1塁へ盗塁をしたのです。

相手バッテリーはまさかそんなことをして来ると思わなかったの

でキョトンとしてしまい、セーフ。それからまた2塁への盗塁を、

成功させたのです。

 

記録としては、1イニング3盗塁ということになったそうです。当時

そんなことがルールとして認められていたかというと、微妙なので

す。

 

というのは、ルールブックが今と違ってかなり大ざっぱ。従って、ま

さか2塁から1塁へ盗塁する人などいないだろうということで、ルー

ルブックには触れていなかったそうです。触れていないということは、

反則に当てはめることも出来なかったのです。

 

いけないことはいけないとはっきり明記する。それがされていないと

いうことは、ルールの範囲内と見なされ、その試合における2塁か

ら1塁への盗塁は認めざるを得ませんでした。

 

その試合後、野球機構で話し合われ、「やはりおかしい」となって、

「逆盗塁はアウト」と明記されました。従って、プロ野球史上唯一の、

「逆盗塁」の記録です。