縄文人の自然信仰・精霊信仰の根底にあったもの | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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日本特有の「八百万(やおろづ)の神」という信仰心は、縄

文人が原点でした。

 

縄文人が「全ての自然の中に精霊(神)が宿る」という考え

でそれを敬い、祀ったのは、すでに書いてきた通りです。山、

川、海、そして風の中にも神は宿り、亡くなった霊魂もその

中に宿っている。そう考えていたようです。

 

狩りに出かける時には山の神に捧げものをしてから出かけ、

稲作を行なう時には田の神に捧げものをおして種をまいた

といいます。『風土記』によると、田には生きた鹿の血をまい

て捧げたりもしたそうです。

 

そうした縄文人たちの思考は今の神道の原点でもあるので

すが、ではその縄文人たちは「神」をどのように考えていたの

でしょう。いえ、今こうして「神」という言葉を使っていますが、

そもそも縄文人に「神」という発想があったのでしょうか?

 

縄文時代というのは、1万5千年続いたと思われます。それだ

けの年月なので、かなり波乱万丈な出来事があったでしょうし、

相当な発展もしています。後期の縄文人たちがかなりの文明

と文化を有していたことも、わかっています。

 

そして勿論日本ですから、災害なども含めて大きな自然の変

化に接して来たでしょうし、何かを成し遂げる上では「目に見え

ない力」即ち「運」のようなものが多分に作用されるという認識

も強く生まれていたでしょう。

 

従って、自然と上手く調和し合う。目に見えない力を、味方にす

る。そうしたことを研究し、心がけているうちに、信仰のようなも

のが生まれていったと思われます。しかもその自然に関してで

すが、「風の神」がいたくらいですから、目に見えない力の存在

は多岐に渡っていて、自然の中には遠い「宇宙」のようなものも

含まれていたと思われます。

 

かつては、宗教と科学は相容れないもの、相反する考え方を持

つものとされた時代もありましたが、現代では、それが間違い。

宗教を科学と結びつけて一体化させる考えが、主流となっていま

す。

 

しかし縄文人たちの信仰というのは、多分に科学的要素が入って

いたように思われます。自然を科学し、運命を科学するうちに、目

に見えない力、目に見えない要素の働きにたどり着き、それが信

仰につながったのだと思われます。