足利義満は幕府と皇室を合体させて自らが国王になろうとしていた! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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室町幕府といえば弱体というイメージばかりが先立ちますが、

前半は決してそうではなく、3代将軍・足利義満の時は栄華を

極めていました。

 

ただその足利義満は、将軍に収まるのでなく、さらなる野望を

抱いていました。彼は息子の義嗣を、天皇にしようとしていた

とされるのです。

 

義嗣の兄である義持に将軍職を継がせ、義嗣を天皇に据える

ことで、将軍と天皇の両方を足利家のものにしようという狙いで

す。実際にそのための根回しをしていて、後小松天皇にその約

束も取り付けていたということです。

 

そして足利義満自身は、「日本国王」という地位に就こうとしてい

たようです。実際に1402年に明から贈られてきた国書には、義

満のことを「日本国王源道義」と表記されているのです。

 

明の建文帝は義満のことを、「国王」と認めていたことが、証明さ

れたわけです。

 

こうして義満は息子の義嗣を天皇の「猶子」としたのですが、その

後、急死してしまいます。その後義持は父・義満の取った措置を

全てなかったことにしたため、義満の死が「暗殺」と見る説もあり

ますが、証拠はありません。結局義満の野望だった「幕府・皇室

合体」は、消滅したのでした。