「希望」には様々な種類があるから持つことは大切なのです! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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「希望」というのは、将来偉くなりたいとかいうもの、つま

り「夢」に付随するものばかりをいうのでは、ありません。

むしろそういうのは、ごく一握りです。

 

遠藤周作は、「臆病で美しくもない人間が強くなろう、美

しく生きようと一生懸命になるのが、立派なんだ」と言って

います。

 

そしてこの「強くなろう」とか「美しく生きよう」とする気持ち

を、「希望」と呼ぶのです。だから「希望」を持つことは、大

事なわけです。

 

「希望に生きるものは常に若い」(三木清)

「希望は死ぬおりまでもわれわれを見捨てない」(ポープ)

いずれもきれいごとではない、格言だと思います。

 

逆に、私が、いや、私だけではないと思いますが、最もお

ぞましいと思える言葉、絶対に人間が使うべきでない言葉

は、「どうせ」です。

 

この「どうせ」は、希望が持てないだけでなく、「希望」の存在

そのものを否定するような言葉です。ギャグで用いるのは別

として、真剣にこの言葉をよく使ってしまう人は、運も逃げます。

周囲に不快感を与えるだけでなく、バイオリズムも下げると思

います。

 

「どうせ」という言葉を封印することで、自然と「希望」も生じる

と思います。