平安時代の或る大食漢庶民娘の記録 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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平安時代というと、貴族の話が圧倒的に多く、あまり庶民の


話は出てきません。そのため、ほとんど人間扱いもされない


ほどにひどかったと思われがちですが、実はかなり違ってい


たようです。



11世紀の半ば、藤原明衡(あきひら)という学者が書いた「新


猿楽記」という書物がありまして、京の町の庶民の職業や暮ら


しぶりについて詳しく書かれています。



その中に「七の御許とその夫」という項がありまして、そこに興


味深い記述があるのです。



「七の御許は、食掀愛酒の女なり。好む所は何物ぞ」


つまり、大食いの酒好きということです。七の御許とは、七番目


の娘ということです。そして彼女の好物が、羅列されています。



鶉眼(うずらめ)の飯。これは米飯を油で炒めてうずらの羽根色


に仕上げたものということなので、チャーハンに近いものですね。


この頃からあったのです。



鯖の粉切。サバの身をそぼろ状にしたものだそうです。


鰯の酢煎り。イワシを煮るのですが、煮あがり際に酢を加えて味


を引き締めます。



他に、鯛の丸焼き。鯛の中骨。松茸。油で揚げた野菜。味噌漬け


大根など、かなり多くの種類の食べ物が出て来ます。しかも、栄養


バランスの良さと調理法の凝り方に、感心します。



この他に、酒の肴もかなり羅列されています。この女性は、裕福な


商人の家に、生まれています。



貴族が没落したのは贅沢と放蕩が原因とされることが多いですが、


実際は迷信や占い、それに怨霊話にのめり込み過ぎて栄養失調


にストレスなども加わり、不健康極まりない状況に陥ったことが原因


です。



セックス依存症気味な人が多いのもストレスが原因と思われ、それ


が見方によっては「放蕩」と受け取られたのでしょう。



その点、占いはともかく迷信などにとらわれず自由がある庶民の方


が、幸せだったと思われます。しかもこの記録の通り、食文化もかな


り進んでおりました。