織田信長の成功は徹底した「プロ」の育成にありました。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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織田信長の奇抜なファッションには「実用性」という目的が
あったことを、先日書きました。彼は領主となってからも、そ
の政治及び戦闘手段で実用性というか合理性を発揮したよ
うです。
 
戦をする場合、人的補充として農民が借り出される場合が、
通例です。そうしないと、人手が足りないからでした。
 
それをきっぱりやめ、「兵農分離政策」を取ったのが、信長
です。ただし一定数の身体能力に優れた農民はスカウトし
て正式雇用し、徹底的に兵士として鍛えます。それ以外の
農民は、農業に心置きなく専念させました。
 
こうすることによって、兵士も農民も徹底して、「プロ化」した
のです。こうしたプロ化は、兵力と農業だけに収まりません。
 
織田信長軍団の使う武器は、鉄砲の槍も、非常に高性能で
した。また、「胴丸」という動きやすくて防弾もできる画期的な
装備品を開発するなど、非常に合理的でした。これは、職人
たちの待遇を良くし、徹底した技術開発をさせた賜物なので
す。
 
他に、「楽市楽座」による自由経済によって商人たちにもプロ
意識を持たせ、情報戦においてもプロの情報屋やスパイを養
成するなど、「領民総プロ化政策」といっても良い政策を打ち
出しました。
 
これが、戦闘能力だけでなく産業アップ、経済力アップにもつ
ながり、領内全体が活気づいたのでした。