「江戸のシェークスピア」「明治の近松」と言われた河竹黙阿弥。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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「元の黙阿弥」という言葉が、あります。戦国時代に実在し

た影武者で黙阿弥という人物が、おりました。筒井順昭が

病気の間、影武者として活躍しました。


しかし本物の筒井順昭が復活するとその威光が消えて、

元通りの黙阿弥に戻ってしまったことを差して、「元の黙阿

弥」ということわざが生まれたのです。


江戸末期から明治にかけて大活躍した河竹黙阿弥という

歌舞伎作者が、おります。


1816(文化13)年に生まれまして、16歳で京橋の貸本屋

の手代となり、芝居小屋に出入りするようになります。


24歳頃から、狂言の作者として頭角を表し、役者たちとの

交流が生まれました。


やがて7代目市川団十郎に認められ、彼のために書き下ろ

した『難有(ありがたや)御江戸景清』『えんま小兵衛』が、大

ヒットしました。


さらには、4代目左団次に提供した「白浪物」シリーズで、地

位を不動にします。


明治に入っても黙阿弥は歌舞伎界の重鎮として君臨し、36

0の作品を残しました。


その割りに「黙阿弥」という名前は謙虚過ぎる気もしますが、

あくまで花形は役者で作家は影武者。目立つ存在であっては

いけないという姿勢での命名のようです。