落語や講談で、最も芸が優れた人、序列が一番上の人のこと
を「真打ち」と呼びまして、最後に登場するのが通例となってお
ります。
この「真打ち」ですが、「心打ち」とも書くそうです。これはまあ、
心を打つ芸をする人という意味で、わからないこともありません。
しかし江戸時代、落語の寄席ができたばかりの頃は、「芯打ち」
と書いていたそうです。これは少々、わかりにくいかもしれませ
んね。
実は、江戸時代はまだ電気がありませんでしたので、照明はロ
ウソクでした。寄席の会場も、例外ではありません。
そしてこのロウソクの仕組みですが、火が進むにつれ、芯が長
くなって、やや暗くなるのです。最後に高座に上がる咄家は、こ
の芯を切ります。そうして、高座を明るくするのです。
そうすることで、明るくなった高座は、今でいうスポットライトが当
たったようになり、クライマックスを感じさせるのでした。
この「芯を切る」作業は、「芯を打つ」とも言いまして、そのため、
最後に高座に上がる人を「芯打ち」と呼び、一番の大物、実力者
が務めるようになりました。
この「芯打ち」が「真打ち」とされるようになったのは、単に芯を打
つという行為だけでなく芸も真(まこと)に優れていることを強調す
るためではないかと思われます。