東芝での思い出と気になること。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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私は、大学時代からすでに芸能活動をしていたことを、すで

にこのブログでも書いております。しかしその一方、大学卒業

と同時に一度引退し、半年間サラリーマンをしたことも、初期

のこのブログで書きました。


自分としては、そういうつもりもなかったのです。ただ、大学の

就職課に呼ばれ、「サラリーマンが向いてるかどうかやってみ

なけりゃわからないよ。もしやって駄目ならまた復帰すれば良

いじゃないか。それとも今すでに、レギュラー番組が決まって

るとか、どこかのプロダクションと契約を結んでるの?ならば

話は別だけど」ってな説得をされ、結局就職したのです。


就職試験は、受けませんでした。面接に行ったら、すでに採用

が決まっていたのです。武蔵大学就職課は、そういう素晴らし

い面倒見でした。そして企業からの印象も、抜群だったのです。


入った会社は、東京コンピュータサービス。しかし通った場所

はそこの社屋でなく、大手企業への出向でした。そして私が通

っていた大手企業とは、「東芝府中」でありました。


そうです。実は私、昔半年間、東芝の社屋に出勤していたので

あります。東芝の仕事を、していたのでした。


なので、今の東芝のピンチぶりと不祥事の数々は、やや複雑

な気持ちなのであります。


色んな記事を読みますと、社長を頂点としたトップダウン制の

行き過ぎた形が弊害を読んだというようにも書かれています。


しかし私が通勤していた頃の東芝というのは、「労働組合」が

もの凄くしっかりしているのが特徴でして、民主的でしたよ。上

の人間がいばり散らすなんてことは、およそ考えられない社風

でした。皆、のびのびしていましたね。


休日も、多かったです。社員同士のきずなも見ていて深そうで

したし、風通しが良く、開けっぴろげでした。好感の持てる会社

でしたよ。なのに半年で辞めてしまい、私は大学の就職課に

謝りに行ったくらいです。


その時ちなみに就職課は、「良いんだよ。この経験がキミの今後

に役に立つと良いね。映画とかでも、一番多いのはやっぱり会社

員なんだから、演じる上で思い出して参考にすれば」なんて、逆

に慰められちゃいましてね。だから私は、大学に対して、母校愛

がいっぱいなんです。


まあそうした大学のことは置いといて、東芝のことは、気になりま

す。ところで、中国の企業が、東芝の手放す株を、買い占めにか

かろうとしていますね。


中国とのつながりは確かに昔から深く、ベテラン社員が1ヶ月以上

上海に出張することは、珍しくありませんでした。ただ、株が中国

に流れることは、結局なさそうでした。


再建はなって欲しいですが、心配なのは、政治との嫌な絡みです。

安保法制が通り、武器の製造や輸出が盛んになれば東芝を再建

できる。なんて、安倍晋三あたりが考えていないでしょうね。


そうしたきな臭い国策企業として生まれ変わるのだけは、止めて

欲しいものです!