慶応大学のある「三田」の地名は元は神に由来するものでした。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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東京の三田は、現在は慶応大学があってビルが立ち並ぶオフィ

ス街でもあります。この街は、東京の中でもかなり古く、由緒ある

地域でもあったようです。


平安時代に書かれた『和名抄』には、この辺が「御田郷」という名

で出て来ます。すでに読み方は、「みた」でした。


「みた」は、東京で最古の地名かもしれません。ただ漢字の書き方

は、「御田」の他、「神田」、「美田」、「箕田」などが、当てられていま

した。


どういうことかというと、朝廷に納める米を作っていたのです。しか

もそれを、朝廷につながりのある神社の領地でつくっていたわけで

す。


神社の領地、つまり神領で米をつくっていたということで、「神田」と

書いて「みた」と読んだこともありましたが、神の物といえば「御」と

いう表現の方が円滑でした。「神」だと、神様そのものになってしま

います。従って、「御田」という呼び方が、最も使われたようです。


ただそれが後に「三田」と書くようになったのは、「御田」の範囲が広

がり過ぎたからだと思われます。


江戸時代になると、虎ノ門から品川宿に向かう道筋に及び、現在あ

る目黒区の三田も、こちらの三田に含まれた地域だったようです。

世の中もとっくに武士の世の中になっていて、朝廷に納める米もつく

られなくなっていたため、「御田」という呼称にあまり意味がなくなって

いたのでしょう。


むしろ、三つくらいが合併して広くなったという意味での「三田」の方

が、しっくり来たのだと思います。


余談ですが、私は「三田」という字と響きが、オシャレに聞こえます。で

もそれは、三田の街がオシャレだからでも慶応大学がイメージされる

からでも、ありません。小さい子供の頃、三田明さんという大スター歌手

がいて、華やかに活躍していたからです。勿論、現在も活躍されていま

すが。