徳川吉宗が好物だった「牛かまぼこ」、実は今も食卓でおなじみの食品です。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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牛乳が奈良時代から飲まれていたことは、先日書いたばかりですが、

すでにその時、煮詰めて加工する技術も備わっておりまして、チーズ、

バター、ヨーグルトの原型のような物が保存食としてつくられました。


また、肉や野菜を牛乳で煮る鍋料理が、人気を読んだそうです。今、

牛乳鍋という料理があります。これを、新しい食べ方で珍味のように考

える中高年も多いようですが、実は奈良時代にすでにおなじみだった、

日本の伝統料理なのです。


その後、江戸時代になって、オランダとポルトガルとの貿易を通じ、本格

的な乳製品が輸入されるのですが、その中で、日本人が「牛かまぼこ」

と呼んで親しんだ物があります。


それは、「バター」でした。江戸時代、バターは「牛かまぼこ」と呼ばれて

いたのです。バターの原型のような物はすでに作られていたのですが、

更に加工を加えた本格乳製品としてのバターは初めてなので、新しい

感覚だったのでしょう。かといって、まるっきり未経験の味というわけでも

ないため、そのような「身近っぽい」ネーミングがされたのだと思います。


このバターですが、徳川吉宗がかなり気に入ったようです。彼はオランダ

人の勧めで、3頭の牛を輸入し、房州(千葉)に牧場を作らせました。牛乳

そのものもさることながら、なによりバターを生産、普及させるためです。


こうして、本格バターの生産が、日本でも始まりました。ただ、バターといえ

ば、パンにつけたり、鳥肉を炒める時に使ったりするのが最もポピュラー

な食べ方と思うのですが、パンが広く定着することなく(織田信長が宣教師

からもらったパンを美味しいと言って普及させようとした例はあります)、鶏

も食用に使われることがありませんでした。


ということで、恐らく吉宗は、温めて溶かしたバターを御飯につけるなどして

食べていたのだと思います。また、鳥肉としては、鶏はなくてもキジが割と

ポピュラーな食用にされていたので、焼いたキジにつけていたかもしれませ

ん。最近、バターライスというのを、しばしば見聞きしますが、すでに徳川8

代将軍、松平健さんでおなじみの「暴れん坊将軍」のモデルでもある吉宗

はあれを好物にしていた可能性が強いのです。


尚、「牛かまぼこ」というのは通称でして、正式名は「白牛酪」といったそう

です。